■『無敵鋼人ダイターン3』感想まとめ<後半戦>■


“日輪の力を借りて
今必殺の サン・アタック!!”


 拙ブログ「ものかきの繰り言」に書いていた、バンダイチャンネルでの 『無敵鋼人ダイターン3』(1978年 総監督:富野喜幸)視聴の感想〔21〜40話まで〕をまとめたものです。本文がメモ的な要素の 強い感想だったので、全体的に大幅加筆。

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◆第21話「音楽は万丈を征す」
 見所は、パンツ一丁で怪獣と戦う万丈。
 定期的ではありますが、作画的に厳しかったのか、使い回しのカットの目立つ回。今シリーズの酷い時の戦闘シーンはダイターンも メガボーグも露骨にエア地面に立ちまくりで、それが特にギャグにもなっておらず、本当に酷い。富野監督は後年に至っても基本的に アニメーター(作画)を信用していませんが、まあ、こういう環境で仕事をしていたら、それは信用せずに演出できるスキルを積み 上げていく事にはなるわけです。
 コマンダー・ラデッツ(CV:池田秀一)から、捕らえた人間と共に送られてくる花束と自作の音楽に、「勝手な事をしないで任務を 果たしなさい」と怒りながらも、一応、テープを再生するという、コロスさん可愛くしようキャンペーン継続中。
 ラデッツは見た目二枚目なのですが、それはゴムマスク(のようなもの)で、下から出てくる本当の顔は、マモー似。「創作意欲を かきたてる男だ」と万丈を評し、いきなり作曲を始めたりしますが、最終的にはダイターンに敗れる。
 地上の展開がどたばた風味が強いに対して、ラデッツがダイターンに倒された後に送られてきた最後のテープをコロスが再生して締める など、火星のシーンは、なかなか音楽に合わせてしんみり。

◆第22話「スターの中のスター」
 スタジオゼットによる作画悪ふざけ回。
 少々やりすぎ。
 万丈がウィンクすると星が顔の周囲を飛んだりトッポの顔がまるで別人ぐらいはまだしも、ビューティのホットパンツが時々ハイレグに なっていたり、モブキャラが等身の合わせも無視で和田誠の似顔絵風だったり、ゲストキャラの少女がどこかの少女アニメで見たような顔 だったりとか、度が過ぎる。
 故意にメガノイドを呼び込んで万丈と戦わせ、両陣営を自分の好きなように振り回して映画を作りあげるプロデューサー、という設定 そのものは面白いのですが、基本的なプロットは10話の焼き直しであり、ちょっと酷い。
 色々あってスケジュール的に制作が間に合わなくて、作画スタジオにでっちあげてもらったという方が納得が行く(^^;

◆第23話「熱き炎が身をこがす」
 火山活動を操り、街を破壊しようというコマンダーに立ち向かう万丈一行。
 囚われの万丈救出の為に、かつて「ワイアット・アープと並び称された」と自称するギャリソンが、狙撃の腕を披露。また珍しく前線 へ出て、万丈と共にメガノイドの基地内部で大暴れ。
 それから、しょっちゅう爆発したり壊れたりする(主に撃墜されて)仲間達のメカは、ギャリソンの台詞から「スペアを用意」している 事が判明。墜落しても墜落しても特に困っている様子が無いと思ったら、常に予備機体を用意・整備していた模様。
 ラストのメカ戦では、「科学の力のダイターンには科学以外で対抗する」みたいな事を言って敵が溶岩攻撃(自然の力?)をしてくる のですが、その溶岩吸い出しは科学の力だろう、という所に突っ込めばいいのか、突っ込んだら負けなのか。

◆第24話「キノコは大きらい」
 遊園地で次々と消えていく子供達。それは、ジェットコースター内部のトンネルの仕掛けを利用して、子供をさらうコマンダーの策謀 であった。コマンダーは子供の生命エネルギーを吸い出して巨大キノコを育成。その胞子を利用してダイターンを倒そうとする。一緒に 遊びに来ていた妹分(弟分?)が行方不明になったトッポはレイカとともに探し回るが、逆に自分も捕まってしまう……。
 ううーん、18、19、20と伏線回も含めて力の入る回が続いた後、ここ数話は出来がいまいち。遊園地を舞台にソルジャーと戦う絵 は面白かったのですが、いかにも作画枚数の厳しい回だったというのも含めて、話の出来も良くありませんでした。
 少し派手な絵も入れないと、でも思ったのか、ジェットコースターから空中一回転で飛び降りるレイカとか、むしろ何かおかしい。
 まあ、レイカもビューティも、頑丈さだけならメガノイド疑惑、ぐらいは有るのですが。万丈ならともかく、 レイカがビルの5階ぐらいの高さから生身で降りて大丈夫は、勢いでやりすぎたのでは。
 見所は、靴の踵に隠した小型爆弾を用いて、メガノイド基地から脱出してみせるトッポ。おそらくギャリソンの入れ知恵かと思われ ますが、たくましい。

 ちなみにアシスタント陣の頑丈さというと、例えばビューティが、ヘリコプターメカからつり下げられた状態で、岩に顔をぶつけても 擦り傷で済むぐらい。まあ、ギャグで流す所ではあるんですが。
 レイカもビューティも、サポートメカで墜落した際に投げ出されても、基本ほとんど無傷。
 いっけんトッポの方がギャグ寄りに見えるのですが、爆発・激突芸的には、レイカとビューティの方が多い気がします。

◆第25話「提督の生と死と」
 旧型艦で13機ものデスバトルを倒した英雄マゼラン――病死した彼の頭脳を人工知能として搭載した、対メガノイド用の新造戦艦 マゼラン号の試験航海に招かれる万丈だが、突如、勝手な行動を取りだした人工知能により、ブリッジ内部に閉じこめられてしまう。 マゼランを、人間の作り出した存在でありながらメガノイドの理想ともいえると興味を持つコロスは、配下のコマンダーに接触を指示。 しかしそのコマンダー達も、万丈や船員達とともにブリッジに閉じこめられる。人を越えた存在であると自認するマゼランは、世界を 支配するのは自分だ、と閉じこめた者達へ告げる……。
 人類の英雄が頭脳だけを戦艦に移植された結果、人ではない存在となり人類に牙を剥く、という、コンピューターの反乱ネタを骨子に しつつ少し捻りをくわえ、そこにメガノイドという今作の特色と絡め、劇中のテーマを二重三重にひっくり返して盛り込んだ、意欲的な エピソード。
 かつての人間の英雄の頭脳でありながら、捕らえた万丈やメガノイドを「実験動物」と言い、「メガノイドが スーパー人間なら、私は神だ!」と言い放つマゼランがかなり強烈。
 コロスの命令でマゼランと接触したコマンダー・カトロフはその在り方に嫌悪を抱き、「あれがメガノイドの理想で、神と言える存在 だというならば、私はそんなものは認めない」と、“メガノイドの誇り”をかけてマゼランに挑む。
 マゼラン内部に囚われた際に万丈のアシスタントの攻撃で結果的に脱出に成功した為、「借りを返す」と、マゼランの重力砲を浴びて 危機に陥るダイターン3をかばい、爆発するメガボーグ・カトロフ。しかしそれはボディ部分がやられただけで、なんと頭部が分離。 四方にドリルが伸びたドリルヘッド状態で戦闘続行するなど、やたらに格好いい。
 お互い相手を信用しているわけではないが、形としてはマゼラン相手に共同戦線を張る事になる万丈とコマンダー。
 カトロフが外から攻撃をする中、レイカにダイターンを任せた万丈は生身でマゼラン艦内に乗り込み、防衛網を突破してコンピューター ルームに辿り着く。
 コンピューターに繋がれたかつての英雄――神を名乗る脳髄と対面する万丈。マゼラン頭脳は「私の部下になって一緒に世界を征服しよう ではないか」と万丈を誘うが、万丈はそれを「傲慢」と断じ、銃を乱射してコンピュータールームを破壊。外部ではカトロフの特攻により 戦艦マゼランの胴体が二つに折れ、神を名乗った戦艦は沈んでいく……。
 生身の万丈が、神を名乗る脳髄と対面するシーンなど、物凄く富野ワールドで、“お互いの在り方”の為に万丈とコマンダーが一時的な 共同戦線などを張る所も含め、『ザンボット』と『ガンダム』を繋ぐようなエピソード。

◆第26話「僕は僕、君はミレーヌ」
 メガノイドの秘密基地に単身潜入した万丈の前に、何時の間にやら脳波制御装置によって洗脳されたレイカなどが立ちはだかり、やむなく 戦う事になる万丈。洗脳されて変なコスチュームで出てくるレイカはやたら可愛いのに、同様のビューティの作画が終始ひどい、謎の 作画差別回。
 敵コマンダーに「私の下僕になるなら、皆を助けてあげよう」(モブ人質含む)と言われ、「おまえの下僕になる ぐらいなら、皆を見捨てる方を選ぶ」と返す、万丈、素敵。
 最終的に万丈は仲間達を取り戻すが、敵メガボーグの脳波制御光線によりダイターン3(の乗組員)が精神制御を受けてしまい、 土下座して頭を踏まれるダイターン3、という酷い絵あり(笑)
 全体としては、あまり出来が良いとはいえないドタバタシナリオ。

◆第27話「遠き日のエース」
 集めた海水を空中から放出する事で地上の都市を壊滅させていくデスバトル・スカイウォーターを操る、コマンダー・エドウィン。 彼はかつて、幼い頃の万丈が手品を教わった事のある、気のいい流しの奇術師であった……。
 元手品師で現在も手品を愛好し、戦いをショーアップしたがるエドウィンに捕まった万丈は彼の前で手品をやり返し、「その手品を誰に 習った?」「もうとっくに死んだよ」と答える……など、二人の関係性の種明かしをBパートの直接戦闘まで引っ張っているのですが…… 次回予告で明らかに幼い万丈とエドウィンの交流シーンを見せまくってしまっていて、後半までそれを引っ張った意味が無いという、 次回予告作ったのは誰だ回。
 それがわかった上で展開する話ならいいのですが、あくまでそれを隠して引っ張るという構図の為、物語に今ひとつ乗り切れず。
 次回予告でそこを隠していれば、もう少しいい話になった気がします(^^;

◆第28話「完成!超変形ロボ」
 街を襲う小型バグ軍団の群れ。トッポ操るダイターンが出撃するが、ダイターン3の変形機構を研究していたコマンダーは、 ダイファイター→ダイターン変形時に一瞬生まれる内部機構へ通じる隙間からバグ軍団を突入させ、内部からダイターン3のメカニックを 破壊する。
 アクションの舞台がダイターンの内部という、変化球。対メガノイド用のビーム砲片手に、ダイターン内部で、万丈が飛んだり 跳ねたり。最後に通気口からビーム撃ったら、うまい事バグ軍団だけ倒せる、というのは適当すぎましたが。
 メガボーグ戦では、小型バグ軍団によって内部からメカニックを破壊されたダイターン3を操縦する為、万丈がメイン、レイカ、ビューティ、 トッポが両腕と脚部をそれぞれ担当するが、変形に失敗したり、大量の武器を一度に出してしまったりの大騒ぎ、という 捨て身のギャグ。
 変形機構を破壊され、ダイターン3とダイファイターの中間状態で高空へ飛翔していくダイターンの絵は面白い。
 最後は手を前後にぐるぐる回しながらのサンアタックでメガボーグを倒すが、スタイルとパターンにこだわる万丈は、これを気に入らず(笑)

◆第29話「舞えよ白鳥!わが胸に」
 サメ型メカに襲われるアイススケート選手・アイサーを助けた万丈。しかしそれは、彼女の姉であり、一心同体のメガノイドコマンダー であるリサーによる罠だった。リサーは、事件をきっかけに急接近し、逢い引きの呼び出しに応じた万丈を始末するようにアイサーに命令 するが、彼女は万丈への想いからこれを拒否。二人の前にメガボーグとなったリサーが姿を見せる……。
 正統派の、敵女コマンダーとのロマンス物で、たぶん、『007 ロシアより愛をこめて』あたりを下敷きにしたエピソード。
 万丈とゲストヒロインの関係性が、なんとなくジェームズ・ボンドとボンドガールっぽい。スノーモービルによる雪上戦闘や、万丈と アイサーによるフィギュアペア的な氷上アクションなどがテンポよく展開し、動きの面でも楽しめる秀逸回。
 逢い引きシーンで、ギャリソンがバイオリンでセレナードを奏でていたり、細かい仕込みも面白い。
 ただ、ゲストキャラであり正体はメガノイドであるアイサーと万丈が何となくいい感じになるのですが、基本的に 万丈は本気でないので、どうなんだろうというか、万丈は、遊びの女にしかデレデレしないの で、物凄くタチが悪い。
 ラストは、姉妹のメガボーグ(同型の妹メガボーグは姉メガボーグに制御されているという設定)が合体して超巨大メガボーグになる という新機軸。全体通してBGMを抑えめにつけた上で、最後のサンアタック炸裂シーンで、「白鳥の湖」がかかるという、好演出。

◆第30話「ルシアンの木馬」
 本物の馬を用いた女騎兵軍団で襲ってくるアナクロなコマンダー・マゾニー。メガノイドを好まないと言い、生身での一騎打ちに こだわる彼女だが、万丈はそれに付き合うのを良しとしない。
 「しかしわからないなぁ。君の戦い方というか、襲い方がね」
 「メガノイド風を吹かせた襲い方というのが、嫌いなタチなのでね」
 「はははははっ。ま、人間にも人間嫌いがいるから、わかるけど」
 (中略)
 「万丈、私の肌は人間と同じです。素手でおまえを倒してみせるといった気持ちは、今も変わってはいない」
 「ふっ。しかし、君がメガノイドである限り、僕は手段を選びはしない!」
 「ぬぅ……。おまえは……無慈悲な男よ。憎むぞ万丈」
 「おうさ。メガノイドに心を売ったコマンダーに、なんの慈悲がかけられるか」
 主人公とは思えない、酷い言われよう(笑)
 女ばかりのソルジャー編成にこだわるマゾニー。万丈にやられた騎兵隊の補充として、さらってストックしてある女達の中から、 ルシアンという女を改造に選び出す。反攻するルシアンを殴る蹴るし、その反抗心を喜ぶサディスティックだけどマゾニー。そこへ、 コロスからの通信が入る。
 「コマンダー・マゾニー! まだそのような事をやっているのですか」
 「女は苛め抜いた方が強いソルジャーに生まれ変わります」
 「女にばかりこだわるでない。せっかくとらえた男達を、なぜ逃がし捨てるのです」
 「男は権力を競います。恐怖におののく女をソルジャーにすれば」
 「黙りなさい。どこまで私に逆らえば気がすむのですか」
 コロスが万丈を誉めた事に対して万丈が喜んでいたのを伝えて反応を楽しむなど、コロスとの仲は険悪。
 今回は、このコマンダー・マゾニーのキャラクターが立っていて面白いです。
 ダイターンすら弾き返すバリアで覆われたマゾニーの秘密基地へ潜入する為、囮の客船を仕立てて一般人の女性に変装、故意にマゾニー に捕まる万丈とアシスタント達(万丈、トッポ、女装)。潜入時のトラブルでアシスタント達が捕まってしまうが、一人抜け出した万丈は マッハアタッカーで空襲をかける。その前に姿を見せる、マゾニーの巨大木馬メカ軍団。
 「ダイタァーーーン、カァムヒヤ!」
 「万丈め……少々大きなロボットが出てくれば、すぐにダイターン3を呼ぶ。いったい、戦士としてのプライドは、 かけらも持っていないのか」
 きついツッコミが入りました。
 木馬メカを撃破し、マゾニーを見下ろすダイターン3。
 「今のおまえの立場は、ダイターンの指一つで潰されるのだぞ」
 「やってもよいわ。私の望みである、肉弾の一騎打ちも出来ぬ弱虫めが」
 「なに?!」
 「弱虫は、メカの力を借りて私を潰すことしか、出来ないのだろうが。おまえを軽蔑しながら、ダイターンのその指で潰されてやるよ、 坊や」
 (中略)
 「お潰しよ、坊や。この私を」
 「怒らせたなコマンダー! 潰すぞ!」
 「軽蔑してやるよ、坊や」
 マゾニーの頭上にダイターンの指を伸ばす万丈。しかしマゾニーの動じぬ姿と、一騎打ちにこだわる彼女に興味を抱いた事から、彼女の 申し出を受けてダイターンを降りる。なぜ一騎打ちにこだわるのかと万丈の問いかけに、メガノイドが嫌いな自分は、万丈を倒した後で コロスを倒し、おまえの親の仇を取ってやる、と告げるマゾニー。だが決闘に破れたマゾニーは、部下が時間を稼いでいる間に、 メガボーグへと変身する。
 「ふふふっ、弱いなマゾニー。己からメガボーグになり、約束を破るとはな」
 「黙れ! 戦いには、生死あるのみ!」
 「さがれぃ、メガノイドめ! 君が如何に肉弾戦にこだわろうが、無駄な事。メガノイドゆえの悪い癖は、直りはせん!」
 その頃、万丈の基地襲撃によりソルジャーへの改造が中断されたルシアンは、肉体はソルジャーにされてしまったものの人間の記憶と 心を持ったままであった事から、反攻し人質となっていたレイカ達を逃すと、木馬を操ってマゾニーへ特攻。マゾニーに返り討ちにされる が、その隙をついた万丈のサンアタックにより、マゾニーも爆散する。
 己の心すら裏切ってメガノイドにされた者達……その姿に、万丈はコロスとドン・ザウサーへの怒りを新たにするのであった。
 ここまで触れずにきた、概ね自分の意志でメガノイドとなったコマンダーよりもさらわれて強制的に 改造されたソルジャーの方がむしろ悲惨、という所に切り込んだ1本。この辺りは踏み込みすぎると、敵も味方も事情があり すぎてエンターテイメントが成立しなくなってしまう、という危険性を伴う部分なのですが、ソルジャーだけではなくコマンダー側にも 何らかの事情を匂わせる――しかし今ひとつ同情できない人物として描く――事で、全体の作劇としては上手く濁しました。
 またルシアンの改造シーンにおいて、ソルジャーにする際に人間の記憶を消去している事を説明しており、作中のソルジャーは“もはや 手遅れの存在”という事で、万丈の殺戮行為に関しては一定のエクスキューズをつけています。
 そんな悲劇的な構図の中でも、他者と心を通わせる事の出来る存在は居る(メガノイド的には欠陥品)、としている所が、今作の世界観 を重厚にしている部分。
 ソルジャーの体に改造されてしまったが人間の心を残した女、メガノイドを嫌い生身の戦いにこだわるも土壇場でメガボーグの力に頼る コマンダー、果たしてどちらがより“人間らしい”のか? 人間性とは何か? そして戦いの意味とは何か? ここに来て、メガノイドが 己の欲望という点については非常に人間味が豊か、というここまでのコマンダー像の蓄積が効いてきて、破嵐万丈という主人公の相対化も 含め、富野監督の根っこにあるテーマ性も盛り込んだ意欲的なエピソード。
 前半の万丈のいつにも増して際どい台詞、
 「君がメガノイドである限り、僕は手段を選びはしない!」
 「おうさ。メガノイドに心を売ったコマンダーに、なんの慈悲がかけられるか」
 が物語後半で相対化されて効いてくるという構成も巧み。
 力の入ったシナリオにふさわしく、屈折した女性/男性観、万丈へのねじれたこだわり、コロスへの女性的な敵愾心、とコマンダーの キャラクターも秀逸。思わずやりとりをたくさん収録してしまいましたが、面白かったです。サブタイトル詐欺だったけど(笑) 実は ルシアンの出番はあまりない。

◆第31話「美しきものの伝説」
 毎日「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」を行う美貌自慢のコマンダー・ゼットは、最新のデータを導入したコンピューターが自分 ではない女の顔を映した事から、その女――ランの命を狙う。女優である彼女のボディガードとして雇われていた万丈は、襲い来る ソルジャーと戦う事になるが……。
 我が儘女優に振り回される万丈、なんだかんだで女の対抗意識を燃え上がらせるレイカとビューティ、と前回から一点、コメディ要素の 多いドタバタシナリオ。何が凄いって、女優の別荘が古城なのが凄い(笑)
 また、作画の湖川友謙(小国一和)分が、やたらにに濃いめ。
 劇中一番の衝撃シーンは、トッポが、レイカとビューティと一緒に風呂に入っている所。
 トッポ、2話の時にレイカの胸元に顔をうずめて「でへへ……」とかしていたのになぁ。
 ラスト、屋敷内の鏡の前にいつもの二人+ゲストキャラがそれぞれ立って「世界で一番美しいのは誰?」とやるが、トッポの細工により コンピューターがそれぞれの名前を答えて上機嫌、というオチはニヤリとさせて楽しい。

◆第32話「あの旗を撃て!」
 玩具遊びを好み幼児性の強いコマンダーに、間抜けな部下のソルジャー軍団、デススターや波動砲めかした2800ミリ砲などの パロディ要素に、コミカル要素の強い作画・演出ながら、地上に立てた旗を目標に、月軌道から万丈の屋敷を直接砲撃しようという、 敵コマンダーの作戦は強烈。コマンダーとソルジャー軍団の知力がもう少し高ければ、最初の攻撃で万丈やられていた疑惑。
 月の陰から、球体型のデスバトル(デススター)が姿を見せるシーンは非常に格好いい。
 敵ソルジャー隊長の変なジェスチャーも元ネタありそうですが、わからず。
 「戦いを趣味でやるな!」と敵コマンダーに怒りをぶつける万丈(ダイターン3)、の戦いを屋敷の庭からティーカップ片手に見学 しているアシスタント達、という構図が凄い。
 今回で言うと、例えば敵コマンダーの台詞に合わせて背後に紅白の日の出の光的な背景が入るのですが(ぱんぱかぱーん的な感じで)、 台詞回しとかで笑わせられると思えば、そういう背景のギャグ的な弄りは要らないわけです。で、凝る時間さえあれば台詞回しなどで 笑いを取りに行くものは書けるスタッフであろうと。作品全体がそういう作りならそういうものとしますが、全てがそうというわけでは ない、という点が、今作のもう一頑張り欲しかったな、と思うところ。同時にギャグとの境界線を含めた、コメディ作品の難しい所では あります。
 まあ“笑い”というのは共通性が薄いので、多用な形を配しておく、というのは当然の手法であり、センス的に私の好みでない部分が 多く出た回、という言い方が正しいのではありましょうが。
 今作の場合は、そういう事をやりつつも、上述したような戦いの構図をさらっと入れてあったりするのが、恐ろしい。

◆第33話「秘境世界の万丈」
 タイトル通りの、秘境冒険ものテイスト。
 敵のコマンダー名はドイル(CV:戸田恵子)ですが、巨大生物は出てこず、どちらかといえば『インディ・ジョーンズ』方面。 というわけで、密林で戦ったり沼にはまったり遺跡の罠で滑り落ちたりと大騒ぎ。
 ジョーンズ博士と違うのは、大概のアクシデントを、万丈は火力で突破してしまう事ですが。
 メガノイドが過去に2度、探検隊を送りながら探索失敗に終わったポイントX。南シャングリラ(南アメリカに該当)の密林地帯に 存在する失われたアンカ帝国の秘宝を入手しようと、生体メガノイド軍団を率いるコマンダー・ドイルが出撃。ポイントXを探索する リスクが大きいとし、またドイルの率いる生体メガノイド(通常のメガノイドより生身部分が多い?)を「メガノイドとして邪道」と嫌う コロスは、「ポイント到着後、48時間連絡が無い場合は、危険地区としてミサイルを撃ち込む」と期限を切る。
 コロスさんの新規作画分が、これまでで最高に美人。
 黒いボディに赤い翼、銀色の鎌、と悪魔めいた姿の生体メガノイド部隊を操るドイルはポイントXにあるエンドラドの遺跡最奥で秘宝 オリハルコンに接触するが、オリハルコンの力に部下ともども操られてしまう。デスバトルの着陸を感知してジャングルへと赴く万丈一向 も、オリハルコンの放つ強烈な電磁妨害によってマッハアタッカーが飛行不能に陥り、通信も出来なくなってしまう。
 万丈達との連絡が途絶した事に関してマザーコンピュータに呼びかけられるも、ドラマに夢中で無視するギャリソン。
 数々の妨害をくぐり抜け遺跡の最奥に辿り着いた万丈達だが、オリハルコンによってレイカとビューティが操られ、一転ピンチに。だが 何とか切り抜けてオリハルコンの祭壇を破壊。秘宝の破壊により正気に戻るとともに自分がその力に操られていた事に衝撃を受けたドイル は、遺跡の崩壊に紛れて脱出、メガボーグへと変身する。
 そして遂に、あの男がダイターンを操る!
 「世のため、人のため、メガノイドの野望を打ち砕くダイターン3! この日輪の輝きを恐れぬならば、かかって参られい!」
 ドラマを見終わったギャリソン、万丈達の救援に現る(オリハルコンの破壊により電磁妨害も消滅)。
 明らかに万丈よりも操縦が巧い(笑)
 劣勢に追い込まれたドイルは、降参を宣言。エンドラドの地は「人間にもメガノイドにも手を触れる事のかなわぬ異質の文明なのだ」と “学者として”この地を禁忌とする事を望み、万丈もそれを受け入れる。
 だがその時、「48時間」の約束よりも早くコロスが発射させた核ミサイル(さらっと)がポイントXに迫っていた。ドイルは遺跡を 守る為に上昇。大気圏外で核ミサイルと激突し、散る。
 爆発の閃光を見ながらレイカ、
 「結局、メガノイドにも学者にもなりきれなかったのね」
 “作中のこれまでの善悪観を超越した存在”というネタは既に17話のルーミス帝国で用いられていますが、それと秘境冒険譚、ある種 のはぐれメガノイド、を巧く絡めた1本。
 劣勢に追い込まれたドイルが人間としての善なる部分を取り戻したわけではなく、あくまでも“学者としての探求心”という自分の欲望 に忠実な結果として、遺跡の禁忌と守護を選んだというのが面白いところ。
 仮に万丈がここの戦いは手打ちにしたとしても、またどこか別の遺跡で揉めるだろうし、この人と(笑)

 全編見終わった後に確認していて気付いたのですが、17話「レイカ、その愛」、25話「提督の生と死」、そして今回のエピソードが、 全て、松崎健一脚本回
 “作中のこれまでの善悪感を超越した存在の登場”と、“それによる価値観の相対化”というテーマ性は、かなり意図的に盛り込まれて いたようです。

◆第34話「次から次のメカ」
 超パッチワーク回。
 過去カットの継ぎ接ぎ映像で、監督:富野喜幸・脚本:斧谷稔・演出:井草明夫の至芸が炸裂。
 前回のバンク回(第13話)ではレイカとビューティがダイターン3に乗り込んでいましたが、今回はトッポがダイタンクに搭乗。 地上で巨大戦車ニーベルゲンと戦車部隊に襲われる。
 一方、マサア型宇宙船2号機(万丈が火星脱出時に用いた宇宙船の同型機。海底のダイターン基地はどうやらこの本船。名称はマザー・ コンピュータからの後付けとおぼしい)の慣熟飛行訓練を行っていたレイカとビューティは、大気圏外でメガノイドの宇宙戦艦と 戦闘機部隊に襲われる。
 12話の、万丈・火星脱出回の使い回しなのですが、そこで使用されたモノトーンのダイファイターが「変形できない安物」という事に。 また、敵コマンダーにより、ダイターン3が「メガボーグのメカ部分の実験機を地球で万丈が改造したもの」であるという説明が。更に 「万丈がダイターン3を2,3台作っていてもおかしくない」など、地上にダイタンク(こちらはダイターン3本体とおぼしい)、宇宙 にダイファイターがあるのを、万丈側の戦力強化としてさらっと理由付け。
 善戦するダイファイターとマサア2号だが結局は撃破されてしまい、救難カプセルが月に着陸。トッポを拾った万丈がマッハパトロール で二人を回収するが、そこへブッターギルン、更にコマンダー・アントンの指揮する、メガボーグのメカ部分のみを巨大ロボットとして 使いソルジャーに操縦させるメガロボット軍団が迫る。
 ここでは、ウォン・ロー(10話)、ウェナー(12話)、バンチャー(19話)のメガボーグ体がそれぞれ登場し、過去の戦闘シーン を切り貼りして使用。ラストはアントン自ら操るウォン・ロー型メガロボットをサンアタックで撃破。10話の名シーンが再利用されると 若干なんだかなぁというのが無くも無いですが、あまり近い話数のものは当然はばかられるとして、監督もせめて編集作業時に自分で 見返していて楽しいところから、というチョイスだったのかしら。
 13話も結構面白かったのですが、今回も、全く同じカットでも台詞と編集を変える事で違うテンポに出来るという、アニメーション ならではという演出技法が縦横無尽に展開し、苦し紛れと思える超作画節約回ながら、充分に楽しめる出来で恐るべし、富野由悠季。
 ラストは、決着した戦闘をモニターしていたコロスさん、新規作画を使って、頬杖をつきながら呆れた感じで
 「まったく……万丈の言う通り。メカをいかに与えようと、扱う指揮者が無能では、何の役にも立たん。やはり、コマンダーの養成に力 を注がねば。まったく」とか、監督の愛が溢れ返っていて、ひたすら可愛い。
 周囲への警戒を続けるダイターン3を見ながら、
 「ふふっ、メカ恐怖症にかかっておる」
 とか、どこまでも可愛い。
 こんな回なのですが(だからこそ?)、ダイターン3の秘密が明かされていたり、万丈サイドの戦力強化と明らかな反攻計画の準備が 描かれていて、物語としてはけっこう重要な展開をしています。
 非常に動きの少ないコマンダー・アントンは、限られた作画の中で個性を出す為にかオカマ口調で、演じるは名優・富山敬。

◆第35話「この愛の果てに」
 行方不明となったコマンダー・マリアとコマンダー・フランケン(9話で駆け落ちした二体)を捕まえるべく、地球へ降り立った メガノイドの新風紀委員長コマンダー・ジライヤ(CV:永井一郎)。
 マリアの姿を見たという情報を元にシン・ザ・シティへ潜入したジライヤと配下の忍者ソルジャー部隊は、次々とマリアの面影を持つ 女性を拉致。この神隠し事件を隠しカメラでソルジャーの仕業と察知した万丈は、「罠をかけるのがメガノイドの専売特許でない事を、 思い知らせてやる」と、街の中に仕掛けたトラップで次々と忍者部隊を始末していく。
 万丈、いつも敵陣に突っ込んではメガノイドの罠にはまって「なにー?!」とやる事を、反省はしないが根には持って いたらしい。
 そんな戦闘の中、コロスの命令で監視の為に派遣されていた、ジライヤと反目するコマンダー・スミカと、ジライヤとの中年メガノイド 同士の間にほのかなロマンスの香りが漂ったりしつつ、万丈との一騎打ちに敗れてエネルギーユニットを損傷したジライヤに、自分には 予備ユニットがある、と言いながらエネルギーユニットを差し出すスミカ(ここで胸の装甲部分を開いて心臓の位置からユニットを 取り出す如何にもメカ人間な描写は良い)。
 ユニットを受け取ったジライヤはメガボーグに変身。カエル型メカとの共同攻撃でサンアタックを打ち破りダイターン3を追い込むが、 苦手のヘビを突きつけられ、メガノイド形態に戻ってしまう。逃げまどう彼が目にしたのは、地面に倒れ伏すスミカ。予備ユニットを 持っているというのは嘘で、彼女は非常用バッテリーの消費とともに力尽きる寸前であった。その姿に正気を取り戻し、駆け寄るジライヤ。
 「わしがなぜメガノイドになったと思う。それはおまえが居たからだ。メガノイドになれば、おまえの側に居られると思ったからだ」
 メガノイドはホント、組織としては機能していないよなぁ、という告白(笑)
 抱きしめ合う二人の姿を見た万丈は、代用になる筈だと、ダイターンのエネルギーユニットを手渡す。
 その光景をモニターしていた、屋敷の面々。
 トッポ「あーあ、なんでこうなっちゃうの?」
 ギャリソン「トッポ様も、大きなくなればわかる事で」
 トッポ「わかんないやい! まったくもう、大人って嫌いだよぉ」
 ギャリソン「その点は、わたくしも、ご同感」
 ビューティ「万丈ったら、惚れたはれたが絡むといつもこうなんだから」
 レイカ「でもそれがまた、万丈のいい所なのよねー。いいわー」
 ビューティ「私だってぇ」
 トッポ「ひかりゃいいってもんじゃないよ」
 トッポとギャリソンが、一番シビア。
 まあこれは、苦しい所もありますが、他者に対する「愛」こそが、良き人間性である、と万丈が思っている、という事なのでしょう。
 5話における「だが人間の赤ん坊は違う。あの子も今はおまえ達にとって役には立たんだろうが、成長して、人を愛し、また子供を 産む事ができる」という台詞を拾っているとも言えます。
 それを万丈がメガノイドを赦せる理由にしつつ、必ずしもそれが正しいとも言えないだろう、またそういうのも別にどうでもいいよね、とこの 会話の中だけで複数の視点と論理を盛り込んでいる流れが絶妙。
 ここで全員に「良かったねー」などとハッピーエンドを肯定させてしまうと、非常に白けるので、このバランス感覚も巧み。
 しかしコロスさんは、「これ以上、内部で不祥事を起こさせては、メガノイド全体の士気に関わります」と警戒した結果、更なる 不祥事=オフィスラブを呼び込んでしまいました(笑)
 まさか9話のネタにここで再び触れるとは思いませんでしたが、全体通して見た時に浮いてしまったエピソード(唯一、万丈が メガノイドを倒さず見逃している)と言えるので、松崎健一が巧くフォローしてエクスキューズをつけた、という所でしょうか。お陰で 作品全体が締まりました。非常にいい仕事。
 あと面白い所では、ジライヤが旧知のコマンダーである事を、万丈がさらっと発言。少しずつ劇中で明かされてはいたのですが、ここに 至る所までのどこかで万丈が自分とメガノイドとの関係性を仲間達にはっきり語っている事が窺えます。
 クライマックスへ向けて大きな物語をまとめに入っているので、細かく内容が濃い。

◆第36話「闇の中の過去の夢」
 アメフトを観戦中の万丈一行は、巨大デスバトルに吸い込まれ、謎の古城に連れ込まれる。そこで万丈らを襲うのは、まるでお化け屋敷 のような怪異の数々……と、万丈一行、ビックリハウスへご招待、の巻。
 雰囲気出しの為に真っ黒な背景が多いのですが、密かに背景節約回?
 コウモリや謎の手、火の玉などが次々と一行に襲いかかるが、これは、プロイド、タイマー、ヤルキー、という3人のコマンダーによる 作戦だった。三流コマンダーである彼等は、真っ正面から戦っても勝ち目はないと、万丈を心理的に追い詰め、戦闘力を削ぐという作戦を 立てたのだ。
 お化け屋敷的なギミックを好むタイマーとヤルキーに対し、3人の参謀役であるプロイドは、万丈を仲間達とはぐれさせると、暗示に よって過去の幻覚を見せる。
 万丈が見たもの、それは、父・母・兄が食卓を囲む姿だった!
 回想にして幻覚ですが、遂に万丈の家族が絵として登場。
 兄、割ともっさい。
 そして、父と兄の服装がピエロみたい(笑)
 ふらふらと懐かしい母親の幻想に引かれ、その胸に抱かれる万丈。母のぬくもりの中で万丈は、「親父が一緒に食事しているなんて あり得ない」と目を開く。
 父、どうも家庭的に駄目人間だった模様。
 その時、万丈の目に映ったのは、サイボーグ化した兄、そして母の姿。
 幸せな過去から一転、生涯の恐怖をプレイバックされた万丈の心は引き裂かれ、ほくそ笑むプロイド。
 だが!
 「なめるなメガノイドめ! どんな恐怖の幻を見せようと、忌まわしい過去の記憶を呼び起こそうと、僕が 弱気になったり恐れたりする事はない!」
 幻覚を振り払う万丈。その万丈に呼びかける父の声。
 「メガノイドを作ったのは誰かな? 人々を苦しめるメガノイドを作ったのは……誰かな?」
 「父だ……ぼくの親父だ!」
 「そう。おまえはこの父の子供だったな」
 「そうだ……その父の子ゆえに、僕はメガノイドに挑戦する男となった!」
 「万丈……」
 「メガノイドめ、僕はあらゆる悲しみも恐れも、メガノイドと戦う為の怒りに変えた男だ」
 幻覚の部屋を脱出する万丈。
 プロイド「にに、人間というものは、肉親に対して、あんなにも怒りをいだけるものなのか?」
 追い詰められた3人のコマンダーは、メガボーグ化して3体合体。三流コマンダー相手と余裕を見せる万丈を相手に善戦を見せて ダイターン3を追い詰めるが、最後はサンアタックの前に散る。
 ホラーハウスのギミックで笑いを誘い、敵コマンダーもコント状態、とクライマックス前に一息の軽いお笑いだけの回かと思いきや、 幻覚攻撃で万丈と父の関係に触れ、どうやら万丈の母と兄は父の手によってメガノイドに改造されたらしい事が匂わされるという、衝撃の エピソード。
 かつて万丈が18話で見せた父への怒り、メガノイドへの憎しみの根本が明示され、物語はいよいよクライマックスへ。
 また、弱いがゆえに人間心理を研究し、その弱点を突いてきた三流コマンダー3人に万丈が足下をすくわれそうになる、という構造を 取っているのが面白い。

◆第37話「華麗なるかな二流」
 非常に格好いいサブタイトル。
 レイカ、ビューティ、トッポの3人を人質に取り、万丈に挑戦状を叩きつけてきた男の名は、木戸川。万丈の幼馴染み(但し、7,8年 会ってないという台詞がある)であり、何事も一流好みであるが故に、万丈にあらゆる面で負け続けてきた事に強いコンプレックスを抱い ている男であった。
 万丈からすると、善人だが何かと突っかかってくる憎めない奴、という認識らしく、終始、凄く上から目線。
 現在はそれなりの財力も手に入れ、城に住み、城内の調度品や身につける物も一流ばかりの木戸川(やや堅太り)。
 ポケットに手を入れて、変な角度を付けた立ちポーズで登場。
 ある種のジョジョ立ち。
 木戸川は居城で万丈を待ち受け、戦いを挑む。
 「貴様に勝つ為に、自分から進んでコマンダーになったからよ!」
 「木戸川……そういうのを、二流と言うんだよ」
 「言うな万丈! それを言うなら、正々堂々、一対一で私と勝負してから言え」
 「しかし木戸川、この勝負、やっぱり貴様の負けと決まっているよ」
 「ほざけぇ!」
 木戸川の振るう鞭を、フェンシングで切り刻む万丈。
 「木戸川。わからないのか? 人質を取らなければ僕に勝てないという事は、はじめっからおまえが負けてる証拠じゃないか」
 「ぐむ。ど、どうしてそれを、気付かなかったんだ俺は……」
 一騎打ちに敗れた木戸川は素直に人質を返す(なお、一流の食事や酒でもてなした為に、人質達には非常に評判がいい)が、木戸川を 利用してダイターンを倒そうとしていた部下のソルジャー隊長・ドグマンの策謀により、再びさらわれるレイカ達。それを木戸川の仕業と 思ったダイターンは城に取って返し、木戸川もメガボーグ・キドガーへと変身して迎え撃つ。二人の戦いの最中、隙を突きダイターンを ビーム砲で狙撃するドグマン。
 勝手に人質を取った上に決闘を邪魔されて怒ったキドガーはビーム砲を破壊、浮上したデスバトルを追うが、人質の3人を前に身動きが 取れなくなる。
 「キドガー、やってみろ。おまえはあの3人の事を気にしないでいい。今大事なのは、一人でも多く、メガノイドを倒す事だ」
 何故か、キドガーを煽る万丈
 「な、なんだと?!」
 「それをやるかやらないかが、一流か二流かの違いなのだよ」
 「し、しかし……」
 「キドガー、やれ!」
 どうして自分でやろうとしないで、メガノイドにメガノイドを倒せと言いますか(笑)
 ここの万丈は明らかに、“根はいい奴”と評している木戸川に、メガノイドとしての使命を優先するか、人道に外れたソルジャーに刃を 向けるか、の踏み絵を踏ませています。
 「私たちの事は忘れて、メガノイドをやっつけていいのよ!」
 何故かそれを、更にあおる人質達(笑)
 まあ万丈には万丈の算盤勘定があって、「ビューティの命」と「打倒コロス」だったら後者の方が重いけど、「アシスタント3人」と 「ソルジャー数人」だったら前者の方が重い。故に木戸川に踏み絵を踏ませつつ、うまいこと人質は取り返そうと考えているっぽい。
 そのキドガーの活躍でドグマンは爆死、人質は解放され、万丈は戦いを止めるように諭すが、雪辱に燃えるキドガーはあくまで ダイターン3との決闘を再開する。やむなく万丈がサンアタックを放とうとした時、それを必死に止めるアシスタント達。
 すっかり木戸川の善人ぶりに感情移入していますが、恐らく万丈が本心では木戸川を殺したくない事(実際に、木戸川がメガボーグと なってもなお一度は戦いを収めようとしている)をわかってはいるのでしょう。また、説得の中に「万丈へのコンプレックスが木戸川を ノイローゼにしてメガノイドにした」というものがあるのですが、基本「どんな事情があろうとメガノイドになった者が悪い」という スタンスの万丈にしてもこの、「自分の存在が一人の男をメガノイドにしたかもしれない」というのは、ぐっさりと突き刺さるものが あったのかと思われます。
 サンアタックを中断する万丈、しかしそこへ襲いかかるキドガー。咄嗟に放ったダイターン・スナッパーの一撃が巨大化装置(16話の ソルジャー4人で巨大化装置と似たシステム)を破壊し、木戸川は戦いの決着に満足しながら人間の姿へと戻っていく……。
 場面代わって、万丈の屋敷……の玄関。「技術的に大変むずかしゅうございまして、どうも、完全に、元のお体に直せませず、まことに もって、申し訳ございません」「いいってことよ」ギャリソンの言葉に答え、万丈には礼を言ってくれと屋敷を去っていく木戸川。その前 に、木の上から降り立って姿を見せる万丈。「やるか?」二人は“昔のように”ただ駆けっこに興じ、そして木戸川は去っていく……。
 ラスト、明言はされず視聴者の解釈に任されるのですが、ここまでの作品世界のバランスから考えれば、木戸川はメガノイド化、そして あくまで戦いにこだわった事に相応の代償を払うべきであり、肉体的に重大な疾患を抱えて余命数ヶ月〜数年、とかぐらいはありそう。
 シリーズのここまでのエッセンス(破嵐万丈という男、万丈とメガノイドの関係、万丈と仲間達の関係、など)を少々詰め込みすぎた 感はありますが、ラストの明るいけれど、どこかしんみりした所は好き。

◆第38話「幸福を呼ぶ青い鳥」
 宇宙を渡る高エネルギー体“青い鳥”の捕獲を試みる万丈一行。一方コロスも同様の目的で、コマンダー候補生、松・竹・梅を派遣する。
 いよいよメガノイドも人材不足なのか、候補生、しかも松・竹・梅と来ました。コロスさんに至っては三人まとめて「しょうちくばい」 扱い。
 レイカとビューティを人質に取られた万丈は、青い鳥捕獲の為の共闘を申し出、コロスはそれを受け入れる。しかし、強大すぎる青い鳥 のパワーの前に捕獲は失敗。火星上空を通り過ぎたその偉容に、コロスも作戦の中止を決断する。ならばとダイターンに襲いかかる松竹梅。 万丈はうまくその腕を封じるが、人質の二人を乗せたカプセルが、蹴り飛ばされてしまう。あわや宇宙の漂流者となりかけるが、青い鳥の 不思議な力で助けられる二人。松竹梅をサンアタックで倒した一行は、人類の手にあまる力がある事を感じながら、地球への帰路につくの であった。
 松竹梅が変身する、三面六臂の合体メガボーグが、顔で声がそれぞれに変わるなど、ギミック的に凝っていて面白い。今回で一番面白い 所で、勿体ないとも言えるし、このメガボーグのアイデアがあって良かった、とも言えます(^^;
 後さらっと万丈の乗る宇宙船が、火星に一回着陸している(正確には、敵のキャプチャービームで強制着陸ですが)。
 なんかシナリオの出来としては、その辺りをちゃんと考えているのか考えていないのか微妙で、いまひとつ。
 超存在を前に、色々な事情があったとはいえ万丈側とメガノイド側が一時的に共闘する、というコンセプトは面白いのですが。

◆第39話「ビューティ、愛しの詩」
 ビューティ観光の月への観光宇宙船ラビット号がデスバトルに呑み込まれ、乗客・乗員が人質にされる。万丈を誘うかのように、地上の 博物館に着陸するデスバトル。父の心労を取り除こうと居ても立っても居られないビューティが飛び出していき、万丈はそれを追うが、 待ち受けていたのは当然メガノイドの攻撃だった!
 19話、万丈一行の月への観光宇宙船の試験飛行、というネタが拾われました。
 そしてビューティの父が、10年前、破嵐創造博士の研究に出資していたスポンサーの一人だったという事が判明。
 ビューティがそれを気にしていた事もわかるなど、最終回目前にして、ビューティの背景付け。まあ別に、ビューティは謎でちゃらん ぽらんで何故かなんとなく居る、という立ち位置でも良かったとは思うのですが、それではあんまりだと思われたのか、一応の動機付け が設定されました。
 とはいえ、ビューティがそういう過去からの因縁に縛られているかといえばそうでもなく、
 父の後悔を解消したい・噂の破嵐万丈がどんな男か見たかった・万丈の境遇への同情
 などが渾然となっている模様。
 また12話あたりの言動を取るなら、ビューティは万丈の詳しい経歴は物語途中まで知らなかったようなので、父の事業に関しては 知っていたかもしれませんが、万丈の事情に関しては、アシスタントになって以後の後付けだと思われます。
 博物館で万丈らを待ち受けていたのは、変身能力を持ったメガボーグ・ネンドル。ビューティの父親に変装して万丈を捕らえたネンドル はダイターンを奪うが、戒めを脱した万丈はビューティを助け出し逆にデスバトルを奪って攻撃を仕掛ける、と敵味方のメカが入れ替わる 面白い逆転展開。
 ちなみにネンドルのカラーリングは、赤・青・黄+白の、ヒーロー色(笑)
 ダイターンを取り返した万丈の前に、メガボーグへと変身するネンドル。ゴムのような体を持つネンドルにサンアタックをかわされる 万丈だが、最後はサンアタックを乱れ撃ち、無数の光球を放つ事でネンドルを倒す。
 最終回直前のビューティ回という事で割と万丈とビューティの距離感が近いのですが、それでも一線を越えない感じ。
 というか結局、万丈がそれどころではない。
 ビューティに関してもどちらかというと父想いの部分が前面に出されており、タイトルの愛は、男女の愛ではなく、家族の愛。
 今更ですが、言い方悪いかもしれませんが、ビューティは、どうやらホステス気質であり、思い込みと覚悟をすり替えられるタイプなの だな、と色々と納得。

◆最終話「万丈、暁に消ゆ」
 火星の宮殿、ドン・ザウサーに語りかけるコロス。
 「おっしゃってましたね、あなた。メガノイドの力があれば、人類は地球以外の星に進出していけると。そうなれば、地球上で人間が 殺し合ったり、戦いを起こしたりすることが無くなり、人類は永遠に平和になる。それなのに、あの破嵐万丈。なぜ、メガノイドの原型 サイボーグを開発した、あの破嵐創造の子供が、あなたの夢を壊そうとするの」
 ドンの首にすがりつくコロス。
 「あなたは、御自分の夢を私にお話になったまま、意識を無くされた。お恨みもうします。私にだけやれとおっしゃったあなた」
 涙を流すコロスは、物言わぬドンを見つめる。
 「女の浅知恵とお笑いください。火星を発進させ、ダイターンもろとも、万丈を倒します」
 コロスは火星を地球圏まで移動させ、残存のメガノイド戦力により地球人類を一気に狩り集めようという最終作戦を決断する。
 最終回にして、ドン・ザウサーは意識を失っており、コロスはドンの代弁者ではなく、根本の思想こそドンのものであるものの、全ての 指揮を自分で執っていた事が判明。
 もっともこれまでの言動を考えると、ドンの意を汲んだように見せかけて完全に自分の意を通しているというよりは、ドンならこう 言うであろうと推し量った末の指令を出している節もあり、その辺りが後半で万丈の指摘するコロスの「愛情ゆえの狂気」という感じ がします。
 またここで面白いのは、コロスが「万丈がわかってくれない」と嘆くところ。
 優秀な人材をメガノイドとして登用したいが為に、万丈に対してもここまで殺害よりも捕獲を優先してきたメガノイドですが、全編 通してそれが、メガノイド組織の構造的欠陥にして万丈の付け目となっている。
 結局のところ己で成長できないメガノイドは、我欲に溺れる者の中にもともと優秀な者が居る事に期待するか、優秀な素体をソルジャー としてうまく扱うかしかない。
 人間を侮りながら一面で人間を必要とするスーパー人間の矛盾、その行き詰まりがコロスの失策であり、彼女に最後の作戦を決断させる。
 近づく火星=メガノイド軍団、を待ち受ける万丈達。
 「今回の戦いは、晩餐までに蹴りをつけるというわけにも行きそうにないなぁ、ギャリソン」
 「はい。お弁当持ちと、いうことになりますな」
 とこの期に及んでも、あくまで軽妙。
 しかしながら、そんな空気に耐えられないトッポは、呑気にソフトクリームを食べているビューティに真剣味がかけると苛立つ。 いよいよ出撃という万丈についてくるトッポに、海底基地へのエレベーターの中で万丈は語りかける。
 「僕だって怖いのさ。やせ我慢はやめるんだな、トッポ」
 「やせがまんじゃないやい!」
 「なら、イライラするな。ビューティはビューティ、あれでいい。……わかったな」

 ここで、男と男の会話、が用意されているのが巧い。
 「ふん……わかるもんかい!」
 カプセルに乗ってマサアへ向かう万丈の背を見ながら、毒づくトッポ。その時、彼の背後の扉が開いて、レイカとビューティが姿を 見せる。
 レイカ「見納めね……」
 ビューティ「およしなさい。未練よ」

 ここが、滅茶苦茶格好いい。
 古今、最終決戦におけるヒーローの出撃シーンは色々ありますが、直前まで全くいつも通りだったヒロイン(一応)二人が、意図して 直接顔を合わせずにヒーローの背中だけを見送って、交わす言葉が「見納めね……」「およしなさい。未練よ」と、凄まじく格好いい。
 二人のやり取りに、「ええ?」と改めて万丈の乗ったカプセルへ視線を動かすトッポは、ここでエレベーターの中での会話が、万丈の 遺言であったかもしれない、と理解する。
 ヒロイン二人とトッポの大人と子供の差を出しつつ、トッポを一つ前進させ、そして女達が最終回に来て実に格好良い。
 そしてBGMともに万丈を乗せ、出撃するマサア宇宙船。
 この最終回は、皆がラストで“格好良さ”を見せる所に集約されるという、『ダイターン3』という作品の格好良さ。
 地球に迫る火星では、コロスがメガノイド軍団に号令をかけていた。重力の影響による潮汐の関係かと思われるのですが、火星の接近に より地球上で気象異変が起き、人類がパニックになっているというのがSF的で良い。
 ボディスーツに身を包み(ギャリソンは、上着を脱いでガンベルト)、先行した万丈の後を追って出撃する仲間達。仲間達にもBGMと 共に出陣シーン。
 マサア型宇宙船を4機製造するのが精一杯だったというギャリソンに対し、
 レイカ「ダイターンは1台でいいのよ」
 ギャリソン「ヒーローですから?」
 レイカ「ふふふっ、そうね」

 そして先行した万丈は、メガノイドの宇宙戦闘機部隊と接敵しつつあった。
 ここで万丈が、コックピットでサンドイッチを口にしているのが、物凄い富野イズム。
 宇宙戦が開始。先行してきた1機(万丈機)の後から4機の同型機が出現した事で、どれが万丈かの判断に悩むコマンダー。戦力が 分散した所を突いて万丈は火星へ向かい、ギャリソンの指揮の元、仲間達はメガノイドの戦闘機部隊を足止めする。
 最終回という事でストッパーの無くなったギャリソン、飄々と3人を指揮して大暴れ。
 火星への突入に成功した万丈は火星を動かしているロケットを破壊し、ドン・ザウサーの宮殿へと向かう。残存ソルジャー部隊の特攻に よりマサアは撃墜されるが、宮殿のバリアの破壊には成功。マッハパトロールで宮殿へと迫る万丈の前に、コロスが立ちふさがる。
 コロスの玉簾っぽい武器を研究したらしく(20話で一度戦った事が活きていて感心)、対抗兵器を使ってコロスの動きを封じる万丈。
 「ば、万丈。な、なぜドンの心をわかってくれないのですか!」
 「僕は憎む……サイボーグを作った父を。まして僕の母も、兄も、サイボーグの実験に使って殺してしまった事は許せない。ドンも貴女 もメガノイドを名乗ってスーパー人間とうぬぼれる。それを憎む!」
 「人類が、宇宙に飛び立つ時代には、ドンのお考えは正しいのです!」
 引き金を引く万丈、銃弾を雨と浴びて倒れるコロス。
 「万丈、あ、あなたって人は……」
 「あなたがいい例なのだコロス。ドン・ザウサーへの想いが、愛情だけが心の中で全てを占め、他の事を何一つ考えられないメガノイド になっている」
 「あの人を愛する事が、私の命なのですから」
 「みんな、父の亡霊を背負って僕の前に現れるに過ぎない」
 コロスの額に銃を突きつける万丈。
 「ド、ドン……あ、あなた……助けて!」
 コロスの額のサークレットが輝き、意識を失っていた筈のドン・ザウサーが、宮殿の奥から姿を現す。記憶では子供だった筈の万丈が 青年となっている事に疑問を呈すドンに万丈は「人形のようにコロスに利用されていたのだ」と告げるが、ドンは逆に「おまえがいつも コロスを悲しませていたのか」と万丈へ襲いかかる。
 宮殿の外へと出た万丈はダイターンを呼び、対してドン・ザウサーも巨大化(腕時計型メカ)。
 一方、宇宙では仲間達が大暴れ。トッポ→レイカ→ビューティが次々と戦線を離脱するも、最後はギャリソンが、切り離しのブースター 部分を敵機に直撃させるという荒技でメガノイドの戦闘機部隊を全滅に追い込み、地球への侵入を阻止。
 ところで編集時にシーンの前後を間違えたのか(下記、ギャリソンの台詞の後にビューティが撃破していれば問題なく自然)、撃墜 シーンがカットでもされたのか、
 〔レイカ撤退→ビューティが1機撃破→ギャリソン「あと3機ですか」→ビューティ撤退→ギャリソン2機撃破〕
 で戦闘が終了した事になっていて、メガノイドの円盤が1機、生き残っている気が。
 『ブレードランナー』?(笑)
 辻褄としては、ギャリソンが敵の残機を確認した後(映像的にも3機)、ビューティが敵機にやられている間に、フレームの外で ギャリソンが1機落としている、とすれば合いますが。
 ここから話を膨らませると、小説『無敵鋼人ダイターン3・2 メガノイドの墓標』が書ける(笑)
 火星上、手持ち武器の全く通じないドンに追い詰められるダイターン3。サン・アタックもわずかなダメージを与えたに過ぎず、コロス の復讐に猛るドンの放つエネルギー波に、さしものの万丈もコックピットで倒れ伏す。
 ――その時、意識を失いかけた万丈の脳裏に、聞こえてくる父の声。
 「我が子よ……勝てる……。コロスの必死の脳波が、ドンを一時的に目覚めさせただけだ。
  人間の精神がそんな……そんな……そんな……」
 その声に目を見開き、拳を握って体を起こす万丈。

 「僕への謝罪のつもりかっ、と、父さん…………
 今のは僕の、僕自身の力だ!
 僕自身の力なんだ!!
 父さんの力など、借りはしない!」

 万丈の動きとシンクロするかのように、ダイターンが必殺の構えを取る。
 「おぉ、まだ動けるのか」
「日輪の力を借りて、今必殺の、サンアタァーーーーック!!」


 放たれる日輪の輝き。
 先のサン・アタックで装甲が弱っていた頭部に再びサン・アタックを受け、絶叫とともに大爆発するドン・ザウサー。
 ラストの万丈vsドンは、今回の作画監督を自ら務めたキャラクターデザインの塩山紀生が入魂で、半ば劇画調と化しています。迫力は あるのですが、反面、“情念のこもりすぎた絵”というのは、演出の側からすると、難しいな、とは思う。
 素材の情念が演出を越えてしまっている。
 ただそれ故に、逆にさらっとした素材を演出で見せるラストシーンとの間に濃淡がついて、よりラストが印象深くなった、とは言えます。
 また、「僕への謝罪のつもりかっ」から一連の台詞は、絵の情念と演出に、役者・鈴置洋考が応えていて、凄く格好いい。
 ドン・ザウサーを遂に倒し、宮殿の入り口に倒れるコロスの亡骸を見下ろすダイターン3と万丈。
 「僕は……嫌だっ……」
 大爆発を起こす宮殿。(恐らくは万丈の操作によって)ロケットを噴射し、元の軌道へと戻っていく火星。ひとり虚空へ浮かぶ ダイターン3。
 こうして、人類とメガノイドの戦いは終わった――。
 ラストの万丈とコロスの対峙で面白いのは、万丈がコロスに対してはある程度、その能力を認めて対等の相手として扱っているのが 台詞から窺える事。
 それは、コロスも同様。
 コロスからすれば、ドンへの愛情とイデオロギーが既に一体化しているものの、(メガノイドの支配下とはいえ)人類の進歩の為の正義 というものをコロスなりに信じており、能力を持ちながら大義より私怨を優先する万丈が理解できない(或いはそういった他者の感情その ものを理解できない)。
 万丈からすれば、戦いの原動力は個人的な怒りと憎しみにあるものの、能力を持ったものが、他人の人生を支配しようとするエゴもまた 許せない。
 ここでのメガノイド像には、一握りのインテリが世界を導こうとする事へのメタファーが明確に含まれていて、後年の監督のテーマ性も 窺えます。
 そして万丈は、コロスのドンへの愛情を妄執であると断罪する。
 作劇上のエクスキューズという面もありましたが、これまで例えメガノイドに堕ちた者でも、他者に対する情愛、思いやりの心があれば、 人間としてやり直せるとしてきた万丈ですが、それがまた、他者を虐げる理由になるのならば、それは許せないエゴとなる。
 こういった一つのテーゼの多面性に同一作品の中で触れるのは富野監督の十八番ですが、ここで更に、一つの相対化が浮上する。
 かつてメガノイドとの戦いの中で
 「僕はあらゆる悲しみも恐れも、メガノイドと戦う為の怒りに変えた男だ」
 と言った万丈。
 しかしそれは、彼自身が断罪する、「愛情だけが心の中で全てを締め、他の事を何一つ考えられないメガノイド」と同じでは無いのか。 一つの想いに囚われているのは、破嵐万丈その人ではないのか。
 本当に「父の亡霊を背負って」いるのは、いったい誰なのか。
 故に彼は、シニカルでコミカルで格好良くある事で自分を武装し、「世のため人のため」と名乗りをあげ「日輪の力を借りて」戦い続け てきた。
 しかし全てに決着を付けた時、万丈は自分の中にあるメガノイド的なる部分(それは人が誰しも抱えるものである)に気付く、或いは、 認める。
 倒れ伏すコロスの亡骸を見ながら、万丈は呻くように呟く。
 「僕は……嫌だっ……」
 ……
 …………というのは今なんとなく繋げてみた話で、万丈のこの最後の台詞に関しては、人それぞれ、様々な解釈が生まれるものかと思い ます。作り手も、それを望んでいるのでしょうし。
 まあこれが万丈の最後の台詞になる事自体、最後まで見て「ええっ?!」となる仕掛けの一部だったりするわけですが。
 以下、ラストシーン。


 場面代わって、地上の万丈の屋敷。ギャリソンは屋敷の調度品に、埃よけのカバーをかけている。旅行鞄を片手に帽子を被ったレイカが、 ビューティらに手を振る。
 レイカ 「じゃあね、さよなら」
 ビューティ 「やにあっさりしているのね」
 レイカ 「うーん、仕方ないわ。住む世界が違うんだから。ばーい」

 去っていくレイカ。
 トッポ 「ふふふっ、さ、いいお婿さんを捜すんだね。じゃーねギャリソン」
 ギャリソン 「はい。よくお勉強なさってくださいませ」
 トッポ 「へーぃ」

 荷物でビューティの尻を軽く叩いて、去っていくトッポ。
 ビューティ 「みんな、情緒もへったくれもないんだからぁ、もう! ……じゃあね」
 ギャリソンに別れを告げ、外で待っていた車に乗り込むビューティ。
 ビューティ 「朝ご飯、パパも来てくれるって?」
 走り去る車。
 消えてゆく屋敷の明かり。
 快男児・破嵐万丈の姿は――ない。

 真っ暗な屋敷を後にし、門扉に南京錠を降ろす外套姿のギャリソン。
 降り出した雨に蝙蝠傘を広げ、バス停でバスを待つ内にその爪先がリズムを取りだし、口ずさむ。
 「……わんつーすりー」
 (・・ワンツースリー ・・ダイターンスリー  涙はない 涙はない 明日に微笑みあるだけ)
 BGMとして流れ出すOP。
 雨の中、バスを待つギャリソンと、真っ暗な屋敷の遠景が、幾つかの角度から交互に映される。
 そして、やってきたバスに乗り込み、去っていくギャリソン。
 薄明の中、カメラが屋敷の1階に向けられると、いつの間にか屋敷の右端の部屋に、ぽつんと明かりが点いている。
 中は確認できない。
 白んでくる空。
 再び、屋敷の遠景。
 誰も居なくなった筈の屋敷の一部屋に、確かに明かりが点いているのが確認できる……そして、幕。


 最後の最後、窓の明かりを映したカメラがそのまま寄っていくのではなく、むしろロングになるという素晴らしさ。
 凄まじい演出のダンディズム。
 万丈の最後の台詞の意味は何か? なぜ仲間達は去っていくのか? なぜギャリソンは屋敷を片付けているのか? 万丈はそこに居るの か? 居ないのか? 屋敷に灯った明かりの正体は? 万丈は果たしてどうなったのか?
 色々な事がはっきりとは語られないまま、しかし作品そのものは、少しばかりもの悲しいのに、確かに夜明けを感じさせるラストカット でまとめられる。
 主人公の格好良さを前面に押し立ててきた作品が、最後に作品そのものの演出の格好良さで幕を閉じるという、ある種のメタ構造も 取り込んだ至芸。
 野暮な話をすれば、ギャリソンが屋敷を片付けている所からして、理由はわかりませんが万丈は屋敷には居ないのだろうな、と。
 その上でみな、そこで万丈を待つよりも自分の道を歩む事を選ぶさっぱりした感じが、実に爽快。
 ビューティとか、個人的には通常そんなに好きではない造型なのに、特に嫌いとも思わないのは、この根っこのさっぱりした所なの だろうなぁと。「情緒もへったくれもない」と言いながら、外に出た途端に父との食事に切り替わる所とか、凄い。
 かといってそれが、日常/非日常、という区分ではなく、彼等の誰にとってもフラットである。
 だからメガノイドとの戦いが終わったといっても、人生の次の場面に行くだけ。
 誰も万丈に寄りかかっていない。
 この格好良さ。
 もっと感傷的なエンディングだったり、仲間達との繋がりの濃さを強調したりする物語を否定するわけではなく、ただ『ダイターン3』 という作品で描いてきた“格好良さ”とは、そういったものとは別の所にあって、その格好良さが最後の最後まで貫き通されているという 事が、素晴らしい。
 もともと映画屋になりたかったという事を広言している監督ですが、劇場作品も含めて、富野作品で最も映画的なエンディングではない かなぁ。実際に“映画”も撮っている方に対してTV作品をして“最も映画的”というのも失礼かもしれませんが、富野監督の言うところの “映画”というものを考えると、このエンドはかなりそこを目指して描いたものではないかと思われます(当時、後に自分が劇場作品を 手がける事になるなど思っていなかったでしょうし)。
 そして主題歌の格好良さ。
 『ダイターン3』の主題歌は、ぱっと聞いた時はそうでもないのだけど、聞けば聞くほどいい主題歌。

涙はない 涙はない 明日に微笑みあるだけ
カムヒヤ ダイターン・スリー ダイターン・スリー
日輪の輝きを 胸に秘め 俺の体が 俺の体が 燃えている
戦え戦え 宇宙の果てに消えるとも
輝く銀河を駆けめぐる ダイターン・スリー 我とあり
はばたけ大空へ 大地を蹴って

悲しくない 悲しくない 明日に希望があるだけ
カムヒヤ ダイターン・スリー ダイターン・スリー
日輪の輝きを 背に受けて 俺の体の 俺の体の 血が騒ぐ
打てよ砕けよ 地獄の底に落ちるとも
輝く銀河を突き抜けて ダイターン・スリー 我とあり
はばたけ大空へ 愛を抱いて

 素晴らしい作品でした。
 一話完結形式という事もあり練り不足なシナリオの回も散見されますが、軽妙なタッチで娯楽活劇を描き、ロボットアニメの古典的な 一話完結フォーマットを取りながらも大きな物語を積み重ねていき、その中で1話からシリーズ通してのテーマ性と格好良さが貫き 通されている、これが素晴らしい。構成的にも、終盤で物語をまとめるに際して前半における方向性の惑いをしっかりと拾い直して いたり、シリーズとして一定の流れを作り上げたのは、お見事。
 そして絶品の最終回。
 大変楽しませていただきました。


◎後半戦まとめ
 基本的に、1話と最終話が良いと作品全体の印象も良くなる、という効果があるわけですが、それにしても、最終話が素晴らしい。
 抜群に良い。
 積み上げてきた物語を全て踏まえた上で、演出のダンディズムによって、くるっとまとめてみせる、凄まじい格好良さ。
 まさしく至芸。
 本文でも書きましたが、とにかく最後、窓の明かりを映したカメラが“寄る”のではなく、“遠ざかる”というのが実に格好良い。
 見ていて七転八倒する格好良さ。
 もしかしたら何か、モチーフになった映画などあるのかもしれませんが、1979年にして、TVシリーズのアニメにおける最終話の、 一つの極みに至っている、というぐらい評価して良いと思います。
 派手さも無ければ分かりやすさも無く、しかし粋。
 これ意外の言葉を思いつかないので何度でも書きますが、最高に格好良い。

 後半20話で特に好きなエピソードは、

 第25話「提督の生と死と」、第30話「ルシアンの木馬」、第33話「秘境世界の万丈」、第34話「次から次のメカ」、第37話 「華麗なるかな二流」、最終話「万丈、暁に消ゆ」

 といったところ。
 25話、30話は、いかにも富野監督、というテーマ性もあって力の入った名エピソード。
 個人的な手応えとしては、いまいちなエピソードが続いた所で、ポンと面白い回の入るタイミングが良く(毎度面白い方がもちろん良い のですが)、これがあるから止められない、的にだれずに済みました。

 全体の構成としては、21〜33話は、内容の軽重取り混ぜて、多彩なエピソード群。34話からはクライマックス編。34話の パッチワーク回を転機に一気に話が動いて、終盤戦になっていく、というのもなかなか面白い。動く、とはいっても一話完結形式も基本 パターンも最後まで貫かれるのですが。
 作画節約の為のやむを得ない過去カットの使い回しを、“万丈サイドの戦力強化”へと転じて見せる事で、いつでもどちらからでも決戦 へ移行可能な流れをつけてみせたのは、さすが、職人芸。
 そこから万丈の過去、父・破嵐創造への憎しみの原因が明かされ、最終決戦で物語は畳まれる。
 また、この最終決戦においても、メガノイド側の事情や理念が語られる事で、登場人物それぞれの在り方が多面性を持って描かれる所は、 富野監督の真骨頂といえます。

 脚本家の担当回数は、このような内訳。

〔星山博之:15話、荒木芳久:10話、松崎健一:5話、吉川惣司:4話、桜井政明:3話、楯屋昇:1話、田口章一:1話、斧谷稔:1話〕

 全編通して関わっているのは、星山・荒木の2名のみ(これに吉川氏を含めた3人は前作『ザンボット3』の主要ライター)。
 荒木氏は初回及び最終回を担当し、実質的なメインライター。
 2話以降、万丈の過去に関わる回など幾つかの主要エピソードも含めて最も頻繁に参加しているのが星山氏。荒木氏が最大7話の執筆 間隔があったのに星山氏は最大でも4話。まあ単純計算でそうなるのですが、基本的に3話に1話は星山氏。ただ星山氏に関しては、頻度と 内容を見ると、全て自分で書いていたというよりも、会議で出たアイデアなどを脚本の形でまとめたのが星山氏、というパターンもあったの ではないかなぁと推測しています。
 松崎氏は、中盤から参加。17話が自身初の脚本という事ですが、テーマ的な繋がりも持った意欲的なエピソードを執筆。後半をいい形 で締めてくれました。
 吉川氏は、前半の軽いタッチのエピソードをサブライター的なポジションで参加。正直、今作ではあまりいい仕事をしているとは言い 難いですが、この後、『ザブングル』にも参加しています。
 桜井氏は終盤に参加して前半の吉川氏的ポジション。29話は悪くなかったですが、残り2本はいまいち。
 田口氏は、一本だけの参加。作画面も含めた担当回の出来の悪さを見ると、穴埋め的参加か。
 楯屋氏、斧谷氏は、それぞれ前半と後半のバンク回。

 演出・コンテの担当回数は以下。

◆絵コンテ:
 〔斧谷稔:14回、貞光伸也:10回、藤原良二:6回、山崎和男:3回、広川和久:3回、石倉山羊:1回、新田義方:1回、 只野泰彦:1回、井草明夫:1回〕
◆演出:
 〔貞光伸也:13回、子鹿英吉:10回、藤原良二:9回、広川和久:4回、山崎和男:1回、富野善幸:1回、井草明夫:1回、 斧谷稔:1回〕

 貞光(主にスタジオZ回担当)、藤原(『ザンボット3』メカデザイン)の両氏は、前後の作品でも主要スタッフ。子鹿氏は、今作〜 『ガンダム』前半まで、メイン参加。広川氏は、後の『バルディオス』監督。
 だいたい4分の3程度が、貞光/藤原/斧谷コンテ&子鹿演出、のローテ、という配分。
 『イデオン』辺りから少しずつ顔ぶれも変わってきますが、脚本陣も含めて、初期サンライズ富野組、といった所か。

 この時期の作品は、作画のピンキリが激しく統一性も低めな為か、演出も作画に影響されている部分が多く見られ、どちらかというと、 如何にバンクカットやパンで枚数を上手く誤魔化しているか、みたいな所の方が見ていると気になってきます(笑) これでも、 『ザンボット3』の時に作画監督を置かなくて散々だったので、作画監督を置いて全体の作画の向上に努めたそうなのですが。
 それでもやっぱり、静止しすぎるカットなどは基本的に無く、“画面を止めない”富野演出は貫かれているといえます。

 駄目な時は本当に駄目なので、総合評価として傑作、とは言いませんが、始まりと終わりのしっかりと出来た名作。
 諸手をあげてお薦めは出来ませんが、毒を食らわば皿まで、ぐらいの勢いのある方は是非。
 ダイタァーーーン、カァムヒヤ!


(2012年6月1日)


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