■『無敵鋼人ダイターン3』感想まとめ<前半戦>■


“世のため、人のため、

メガノイドの野望を打ち砕く、ダイターン3!

この日輪の輝きを恐れぬなら、かかってこい!”


 拙ブログ「ものかきの繰り言」に書いていた、バンダイチャンネルでの 『無敵鋼人ダイターン3』(1978年 総監督:富野喜幸)視聴の感想〔1〜20話まで〕をまとめたものです。本文がメモ的な要素の 強い感想だったので、全体的に大幅加筆しました。

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◆第1話「出ました! 破嵐万丈」
 サンドレイク卿の湖城で行われる、ミス・インタービューティコンテスト。だがそれは、コンテストに集めた美女達をメガノイドの 下僕として改造しようという、メガノイド・コマンダーの陰謀であった! 美女達に危機が迫る時、湖城に飛び込む一人の男、その名を 噂の破嵐万丈! この日輪の輝きを恐れぬなら、かかってこい!
 コンテスト会場に飛び込んできた黒いボディスーツの男が、サンドレイク卿に誰何されて「礼儀は心得ているつもりだ」とボディスーツ を脱ぐと、下には真っ赤なタキシード! と主人公の初登場シーンから飛ばしまくり。
 「万丈?! するとおまえが、あの噂の破嵐万丈!」
 「あれが噂の……破嵐万丈」
 「あ、あんなに赤いヤツが?」
 もう30年以上前の作品ですが、“普遍的な娯楽活劇”を志向し、かつそれに成功しているので、古びていま せん。また、ロボット抜きでも成立するアクション作品、としてストーリーが詰められているので、筋立てとテンポが非常に秀逸。悪の 陰謀→主人公の活躍→一点窮地→窮地からの脱出→逆転勝利、と娯楽活劇の伝統を抑えつつテンポの良い展開で飽きさせません。
 基本的に、主人公が活躍したと思ったらすぐピンチになったり、割とあっさりとっ捕まったりするのは、娯楽活劇の定番劇。
 ピンチを切り抜ける手段が、力尽くで牢屋の鉄格子をこじあける、ですが、これはOP映像が伏線という事でいいのか(笑)
 オープニングは、『戦闘メカ ザブングル』と並んで、数ある富野アニメOPの中でも、随一の出来。
 わけわからないのにやたら格好よく、出鱈目な本作の魅力が詰まっています。
 「ダイターン・スリー われとあり〜」の所で、ダイターンの顔アップをバックに、真っ赤なタキシード姿の主人公のカットが横から フレームインしてきて、そこに「総監督 富野喜幸」と出てしまう所とか、実に格好いい。
 本編のどうでもいい話としては、
 「その為にそこの美少女」
 「こちらの美少女たちが欲しいだけなのだ」
 「この万丈の名にかけて、美少女達は渡しはせん」
 とか、万丈と敵が「美少女」「美少女」連呼しているのが、今聞くと妙に面白いです(笑) Bパートに入ると何故か、全部「美女」に 変わるのですけど。どうして統一されていないのか。
 花のあるアクション、魅力的な主人公、脇を固める美女二人、OPからラストカットに至るまで、実に娯楽の楽しさに満ちあふれた、 痛快作。
 色々な娯楽活劇のフォーマットを下敷きにして、そこにSFとロボットを盛りつけているのですが、根っこにあるのは講談もの、いわば SF講談、立川文庫富野版、とでもいった所か。

◆第2話「コマンダー・ネロスの挑戦」
エリントン市上空に現れたメガノイドの巨大メカは、反重力装置の実験を行う為に街の住人の退去を要求。「私はぬるぬるした人間の血反吐 など見たくない。すぐ街を出ろ」と言いながら、街の一部を浮上させ、住人はパニックに陥る。
 冒頭から変なパース、妙に濃いモブ、と金田伊功か?! と思ったら、作画に名前は無かったけど、所属しているスタジオゼットの 作画担当回でした(クレジットに名前は出ていないけど、このスタジオの担当回では随所で描いている模様)。……地割れのシーンで、 傘で空飛んでいる人がいるんですが(笑)
 第2話という事で、作画とそれに合わせた演出に非常に力が入っており、都市を一つ丸ごと浮かす大がかりな作戦から、ロボット戦 までが大迫力で展開。ガラスの反射を活かした映像演出なども格好良い。
 “後で使い回すから”というのを前提にしているのでしょうが、全体的に作画枚数がかかっており、よく動きます。よく動くと、多少 の悪ふざけカットも気にならないのですが、今作はこの後、作画が崩れているし動きも無いのにおふざけカットだけ入っている回、など が時々あるのは、個人的にはあまり好ましくない所。
 冒頭の展開と台詞で、人間と隔絶した存在としてのメガノイドと、その巨大かつ理不尽な力が描かれます。
 そしてコマンダーの上官として、ドン・ザウサーとコロスが初登場。悲人間的(というか1940・50年代ぐらいのアンドロイド/ ロボット的)な外見で人語を発さないドンはなかなかに不気味。そしてその「ぱかー、ぱかー」みたいな声を通訳(?)するのが、傍らに 立ちドンと手を重ねるコロス(なお、3話以降、ドンの声は「しゅー、しゅー」となりますが、これは『スター・ウォーズ』の影響らしい)。
 人間を飼い慣らす為に地球を改造する計画、家畜とした人間のソルジャーへの改造、ゆくゆくはメガノイドにより銀河系宇宙を征服する、 というメガノイドの一応の目的がコマンダーから語られ、善玉/悪玉の構造が明確に。
 変事を受けて、調査へ向かう万丈。なぜか屋敷の2階テラスから飛び降り、太陽をバックに一回転して着地、無駄に歯を光らせる。無駄 に加速しながら発進する専用車とか、なんだかよくわからないが格好良く、ワクワク感の演出が1話に続いて秀逸。そしてギャリソン時田 は、空気のように初登場。さすが執事。
 ロボットvsロボット戦は正統派のロボットプロレスなのですが、その中で起伏をつけようという努力が窺えます。
 もう少し遡ると、かなりぞんざいだったりするので、ロボット戦。
 70年代前半の巨大化特撮とかもそう。
 意外とその筋の泰斗である円谷プロとか、杜撰。
 ところでロボットの股間にこだわりのある監督ですが、ダイターンで既に、股間からミサイルを撃っていました。
 「ダイターン・ミサイル!」
 この回でトッポが仲間入り(メガノイドの実験で無人になった街の残存者)。インターポール所属だった筈のレイカも万丈のアシスタント に収まって活躍し、レギュラーメンバーが揃い踏み。

◆第3話「裏切りのコレクター」
 デスバトル(メガノイドの扱う巨大メカ。主に、空中戦艦のような感じ)を用いて、新型の列車や飛行機、客船などを収拾。小型化 してコレクションするというメガノイド・コマンダーが登場。出撃したダイターンにも、その魔手が迫る!
 作画が酷すぎ(^^;
 ロボットが完全にエア大地に立っているし、それを誤魔化そうという配慮が全く感じられません。
 やたらにどアップのカットとズームイン・ズームアウトが連発で、演出もよろしくないのですが、単純に演出が下手なのか、量的にも 質的にもあんまりな画しか来ないので、そうせざるを得なかったのか悩むレベル。
 物語としては、冒頭に大型船が竜巻に行き合って吸い込まれるくだりとか、テレビまんが度がここまでで一番高い。
 あとでビューティはミニスカートだと思っていたのですが、よく見たらホットパンツでした。
 つまるところ、ホットパンツ+投げ技で、70年代特撮ヒロイン。
 レイカがボンドガールで、ビューティが70年代特撮ヒロインという色分けか。
 2話で割と胸元のセクシーな服装だったレイカは、3話以降、割ともっさりした衣装ですが(その後、数話ごと?に2種類の衣装を ローテでチェンジ)。

◆第4話「太陽は我にあり」
 トッポの友人の父親が、メガノイド・コマンダーになっていた、という重めのエピソード。
 わかりやすい悪人ばかりでなく、子供に対する情愛を持つ親(息子に対し、友達と一緒におまえもメガノイドになるのだと誘い、終盤 でも息子の友達を人質に使うような真似はしない)でさえ“人間が人間を越える”という根源的欲望 に呑み込まれる、という構図は、人間存在の普遍的な根の所をついているテーマだけに、非常に重い。
 自らの研究の為にメガノイドとなったコマンダー・デスサンダーは、都市を丸ごと一つ消し飛ばすような太陽エネルギーの力を用いて ダイターン3を追い込むが、最後はサンアタックを受けて倒れる。
 このぐらいの時代の作品だと、子供はトラウマだけ刻まれて投げっぱなしで終わり、というオチが多かったりしますが、
 「あのメガボーグ・デスサンダーも、俺の親父じゃないんだ。俺の親父は、メガノイドに騙されて、どこかに連れて行かれてしまった んだ」
 と自己防衛しつつ(恐らく、本心では父が悪魔に魂を売り渡した事を理解している)、父の変身したメガボーグを倒したダイターン3を 憎むのではなく、
 「俺は大きくなったら強い男になって、メガノイドと戦う、絶対に。あのダイターンみたいに俺は、戦うぞ」
 と目標にする事で前向きに克服していく、という展開がちょっと面白い。
 この時点でどこまで背景設定が決まっていたかはわかりませんが、この少年は明らかに万丈の引き写しであり、「太陽は我にあり」と いうサブタイトルも、主人公・破嵐万丈の正義の立ち位置を示す言葉と思えば、単に太陽光線を使って攻撃してくる敵との戦い、という以上に 大きな意味を持っていると考えられる序盤のキーエピソード。

◆第5話「赤ちゃん危機一髪」
 予告とサブタイトルからあまり期待しないで見たら、意外な秀逸回。
 万丈が巨大な手首(デスバトルの一部)に追いかけられるシーンなど、カットが色々秀逸。

 ダイターン3を楯に、メガボーグの砲火から赤ん坊と母親を救う万丈。
 その姿を、メガボーグは嘲笑う。
 「つまらんヒューマニズムに溺れた、愚か者めがぁ!」
 「可哀想なやつだな!」
 「なにぃ?!」
 「お前達メガノイドには、赤ん坊を可愛いと思う気持ちが無いって事がだ」
 「そんなものが何になる。赤ん坊など、我々の科学力でいつでも造れる!」
 「ちっとも大きくならない赤ん坊がな! だが人間の赤ん坊は違う。あの子も今はおまえ達にとって役には立たんだろうが、成長 して、人を愛し、また子供を産む事ができる。そしてお前達を!」
 「ええぃ、ほざけほざけ」
 「赤ん坊を愛おしいと思う気持ちがあればこそ、人間は強く生きられる! それがわからんメガノイドには、人間を越えられん!」

 ここは演出も良くて、非常に格好良いシーン。
 前話に続いて、もともとは人間でありながら、人間と違う存在になったメガノイド、自らをスーパー人間と称する彼等の人間観と、万丈 がなにゆえメガノイドを憎むのか、人間とメガノイドの相克が強調されています。
 あと当時のアニメとしてはそれほど珍しくも無かったかもしれませんが、メガノイドに改造する為に集められた人間達が、眠らされた 状態でベルトコンベアーのような機械に乗せられて選別されているカットがさらっと入っていて、メガノイドの人間観がワンカットで 表現されていると共に、絵としてなかなかえぐい。

◆第6話「アニマッドの華麗な招待」
 ジャングルに招待された万丈一行を待ち受けていたのは、メガノイドの襲撃だった。敵コマンダーの目的は、万丈と馬を合成し、 完璧なる造形のケンタウロスを生み出す事!
 作画があまりにも破綻しすぎ。どのぐらいまでギャグをやっていいのか、作画の方とバランスを取れていない感もあり。
 ちょっと酷かった。

◆第7話「トッポの出撃大作戦」
 ダイターン基地のマザーコンピュータを誤魔化し、まんまと乗り込んだダイファイターを発進させてしまうトッポ。その頃、メガノイド による都市一つを丸ごと火星に転移させてしまおうという作戦が進行していた。
 お嬢様方(レイカ、ビューティ)を強敵の方へ行くように唆しておきながら、万丈に「お嬢様方が危のうございますな」とか、しれっと 伝えるギャリソンさん悪魔。
 呼べばどこでも飛んでくるダイターン3の秘密基地が、海底にあるのが判明。ダイターン3は物凄くいい加減にやってくるので基地は 出さずに誤魔化すのかと思ったのですが、一応ちゃんと描きました。基地のメインコンピュータの人工音声が年上のお姉さん系(CV: 間嶋里美)なのですが、万丈の趣味なのかどうなのか。有力なのは、万丈に気を遣ってギャリソンが設定。
 それにしても、当時どれぐらいのキャリアだったかはさておき、この3話だけでも、ゲスト悪役が、飯塚昭三−八奈見乗児−伊武雅刀 (当時:伊武雅之)とか、今見ると豪華、そして渋すぎる。メガノイド・コマンダー、基本的におっさんだしなぁ(笑)

◆第8話「炎の戦車に散るジーラ」
 と書いたら、女コマンダー(CV:小原乃梨子)&女ソルジャー軍団、登場。
 かつてのレイカの友人が、地味で陰気な自分へのコンプレックスを復讐心に変えてメガノイドとして襲ってくる……のですが、その流れ の描き方が浅いので、後半、妙に万丈が彼女の境遇に感情的になるのが今ひとつ不自然。最後は涙を流しながらダイターンクラッシュを 決めるのですが、そこで泣くのは、元友人のレイカの立ち位置ではないかと思うのですが、レイカはあまり反応しない。結局、レイカと 幼馴染みのトニーにとって、この娘、かなりどうでも良かったのだなぁ、としか思えない(^^; (そのつもりで話を書いていたら、 凄まじくえぐいけど、どちらにせよ万丈の反応がここまでに比べると過剰でやや不自然)
 話としてやりたかった事はわかるのですが、空回り。ううーん、星山(脚本)&斧谷(絵コンテ)回としては、出来が悪い。

 『ダイターン3』は、地球人類vs異星人類(異生物種)ではなく、地球人類vs地球人類(でなくなったもの)という構図で、むしろ 敵味方の関係性においては『仮面ライダー』などに近い、というのがロボットものとしての一つの特徴。その為、人間がメガノイドになる 部分に関して「悪魔との契約」という古典的テーゼを下敷きにしています。これによりメガノイド達 (主にコマンダー)の「自ら人間を捨てたもの」という部分を、ある程度強調する事で、戦いの本質的な悲劇性に おいてワンクッションを置いている。
 一方で、多分に作劇上の都合もあるでしょうが、「悪魔に魂を売って人間を捨てたもの」が人間離れした“怪人”になるのではなく、 むしろ非常に人間らしく描かれる、というのは面白いところ。
 まあ話を見る限り、コマンダーよりもむしろ、メガノイドの人間狩りによって強制的に改造されているものが大多数と思われる ソルジャー(一般兵士)の方が悲惨で、そちらに関する悲劇的部分は解消されてはいないのですが、その辺りはエンターテイメントとして の作劇を優先して、基本的には無視。

◆第9話「おかしな追跡者」
 火星を逃亡したコマンダー・マリアは、正体を隠して万丈に助けを求める。そのマリアを追って火星からやってくるメガノイドの風紀 委員、コマンダー・フランケン。マリアを付け狙うフランケンを必死に食い止める万丈だが、抜群のタフさでフランケンは諦める事を 知らない。ところがマリアの真の目的は、監視の緩い地球上において、自分を追ってきたフランケンに告白する事であった。 自分の容姿にコンプレックスを持ちメガノイドとして暴れていたフランケンだが、初めての女性からの告白にコロリと良心を取り戻し、 毒気を抜かれた万丈も、二人の新たな旅立ちを見送るのであった……。
 万丈あて馬の、完全なギャグ回。6話と笑いの取りに行き方が同じセンスだと思ったら、やはり脚本が同じ(吉川惣司)でした。
 まだ作品の方向性が固まりきっていない時期というのもあるでしょうが、吉川惣司さんの中で、メカ+笑い=タイムボカン ぽい。
 さすがに、「メガノイドの風紀委員」というネタはどうかと思う(^^;

 あと何の説明もなく、さもあって当然という風に作品内に出てきていたデスバトルですが、つまるところ、今週のびっくりどっきりメカ なのだな、とこの辺りの回を見て理解。

◆第10話「最後のスポットライト」
 ゲスト悪役が、微妙に横山光輝顔。
 メガノイドになる事で映画スターの頂点に上り詰めた男、ウォン・ローが、自ら最高のアクション映画を撮る為に、自分vsダイターン3 の戦いを演出してフィルムに収めようとする、という話。
 人間体でのアクションを終え、メガボーグへと変身したウォン・ローと対峙するダイターン3。
 「しかしこの戦いは、正義が勝つと決まっている」
 「私のファンにとって、正義は私なのだよ、わかるかダイターン」
 映画の撮影だからという理屈で、お互いに遠慮のない、芝居がかった台詞のやり取りが楽しい。
 戦いの場を、コロシアムに組んだセットに移すウォン・ロー。
 「映画というものは、金がかかりすぎるのが玉に瑕でな」
 そして「距離500m! 露光調整!」等と言いながら、映画に魂を捧げたソルジャーカメラマン部隊が複数のヘリなどであちらこちら から戦闘を撮影開始(笑) つかみのネタばかりではなく、戦闘中も随所で撮影班の動きが入るのが実に素晴らしい。
 そして激戦の末、ダイターン3に敗れる自分を悟ったウォン・ローは、悪魔との契約によって夢をかなえた事の虚しさを語り、 「(自分が勝利する筈だった)筋書きを変えてでもエンドマークを」と、死をいとわぬ特攻。サンアタックからのダイターン・クラッシュ を受けて爆発。
 「カメラひけーっ、キノコ雲はロングだ! ロングで撮るんだ!」
 上官の大爆死を前に、撮影班のこの台詞が突き抜けています。
 爆発からそのまま場面転換してラストシーン、どこかの街を車で走る万丈。信号で停止した時、道行く人々の会話が聞こえてくる。
 「ねぇ、ウォン・ローの死んだ映画って見た?」「見た見た! 13回も見ちゃったぁ」「メガノイドだったんですって?」「でも ウォンローはウォンローよ」
 映画館の前の行列。ウォン・ローとダイターン3の戦いを描いた映画は公開され、彼の正体がメガノイドだと判明してもなお大ヒット していた。大衆のリアリティの無さ故か、芸術の普遍的な力か、人間だとかメガノイドだとかを越えて映画の中でスターとして永遠になる ウォン・ロー、ただ黙ってその横を通り過ぎていく万丈、二つの影が交錯する一方で、映画館内、今か今かと上映を待つ客席の人々…… そして幕が上がる――――。
 というこのラストが実にいい。
 中国拳法使いのゲスト悪役の声が曽我部和恭(当時:曽我部和行)さんだったのは、よく考えると『ポリマー』ネタ?

◆第11話「伝説のニーベルゲン」
 メガノイドによる戦争博物館の襲撃事件が発生し、万丈は戦車コレクターの男ヘスラーからガードの依頼を受ける。だがそれは、 メガノイドである彼の罠だった。冷凍睡眠から目覚めたら祖国が消滅し、自らの寄る辺を求めてメガノイドとなった、“時代に取り残され た男”コマンダー・ヘスラーは、究極の戦車ニーベルゲンでダイターン3を攻撃。ヘスラーの策謀によりダイタンク状態から変形でき なくなった万丈は危地に陥る……。
 というダイタンク活躍回。
 ダイタンクは変形時に、キャタピラ部分が拡大・縮小するのが、非常に気になる(笑)
 これも吉川さん脚本回でしたが、今回はあまりやりすぎず、他の回とギャグ部分のバランスが近くなっていました。
 ところでここ数話は、万丈が敵メガノイドに情を見せる展開が続いているのですが、やっぱり元人間をあんまりざっくり殺すのはどうか、 という話でも出たのかなぁ……好き嫌いでいえば序盤の、一片の容赦も躊躇もなくやってしまう万丈の方が好きなんですが。

◆12話「遙かなる黄金の星」
 資産家ウェナーから招待を受ける万丈。ウェナーは万丈に、金塊のありかについて問いかける。その金塊とは、万丈が火星から持ち出し た莫大な財貨だった! かつてメガノイドの金庫番だったウェナーは、万丈から金塊を取り戻そうと万丈を捕らえようとする。
 万丈、火星脱出の顛末。
 火星がメガノイドに支配されている事、その火星から万丈が母の手引きでダイターン3(プロトタイプ?)と共に逃げ出した事、万丈 の資産の背景、家族関係、万丈が不調に苦しむウェナーに対して「旧式のメガノイドが死ぬ前によくそうやっていたな」とメガノイドに ついて長く知っている事を匂わせるなど、かなり重要な伏線&説明回。
 ここまで、メガノイドという人間を家畜のように扱う連中が居て、正義の金持ち・破嵐万丈が巨大ロボットを操って仲間と共にそれと 戦っている、という構図こそあったものの、その背景はほとんど明かされていなかったのですが、ここに来てようやく万丈の出自と戦う 目的が明らかになります。
 同時に、明確に途中参加のレイカとトッポはもとより、ビューティにしても万丈の過去を全く知らなかったり、ギャリソンにしても どうもそれほど長い付き合いでは無いのかもしれない、という辺りが見えてくる。
 彼等の“仲間関係”における、ビジネスというほど冷たくはなく、かといって絆というほど深くもない関係は、今作の特徴というか 妙の一つ。
 作画に凝りすぎて彩色している余裕がなかったのか、火星脱出時の宇宙戦がえらくモノトーン。回想シーンの万丈母の声と、ダイターン3 基地のコンピュータの音声が同じ声優だったらどうしようかと思いましたが、そんな事はありませんでした(笑)

◆13話「前も後もメガ・ボーグ」
 練習の為(?)にダイターン3に乗り込んだレイカ、とそれに無理矢理同乗したビューティ。ところが万丈がプールサイドでくつろいで いる中、ダイターンとの連絡が途絶する。ダイターン撃破を目論み、ドン・ザウサーの側近ドナウン自らが、特殊な電磁場空間による幻覚 攻撃を仕掛けてきたのだった!
 過去回のメガボーグによる攻撃を幻覚とする事で、戦闘シーンの大半が過去フィルム(2,3,4話より)という、作画節約パッチワーク回。
 制作環境上のやむを得ない仕儀とはいえ決して誉められた事ではないですが、過去の戦闘ままの絵を、中のパイロットが違う(レイカ、 ビューティ)事で巧みにテンポを変えて再利用し、台詞回しの妙で笑わせる、という極めてテクニカルなエピソード。新規作画分がそれ ほど悪くないのと演出の妙で、思いの外見られる話にまとまってしまっており、「さすらいのコンテマン」恐るべし。
 戦闘と戦闘のカット繋ぎを、幻覚とダイターン3との戦いが佳境になると、上から巨大な球体が振ってきてダイターンが吹き飛ばされる (これが幻覚ではなく現実における本命の攻撃)、という大技で切って、また幻覚との戦いに戻る事でシナリオ的にも映像的にもスムーズ にした上で笑いにもする、という力業が凄い。
 コンテ・演出は富野(斧谷稔)、作画監督も富野(井草明夫)、脚本の楯屋昇は調べた限り監督のペンネームでは無いようですが、台詞 回しは物凄い富野語が濃いめ。まあこんな回なので、コンテ段階で絵に合わせてほとんど台詞作っているからだと思われますが。

◆14話「万丈、オーロラへ飛べ」
 パンツ一丁で北極を走る万丈
 格好いいアクションをすればするほど笑えてくる。卑怯。
 北極に眠る氷漬けの古代の巨大怪鳥の発掘作業手伝いを依頼された万丈。だがそれは、メガノイドによる罠だった……が、万丈とギャリソン は先刻承知。
 万丈は基本的に受け身にならざるを得ない(火星まではそう簡単には攻め込めない)都合上、嬉々としてメガノイドの罠に飛び込んで いく節あり。そしてそれは万丈の、自分の能力に対する絶対の自信の表現としても、使われています。……その割には、「なにー?!」と よくピンチに陥るのですが。陥った上でなお切り抜ける自信を持っているのが、全編通して万丈の特徴的な所。仲間に助けられる場合も 多いですが。
 2話続けて、部下が反抗的で困るコロスさん、段々と可愛げが出て参りました。コロスも初登場時はけっこういい加減な作画でしたが、 台詞が増えると共に、監督から「綺麗に描くように」指示が出た疑惑(笑)

◆15話「コロスとゼノイア」
 自分がコロスに成り代わってドン・ザウサーの側に仕えたい、という女コマンダー登場。
 2話ぐらい前から凄く普通に「ギャリソンミサイル」という大型ミサイルが登場(万丈の屋敷の裏山ぐらいから発射)しているのですが、 そんな物に自分の名前つけないでギャリソン。
 どこまで万能なんだギャリソン。
 まあ偽名だろうけどギャリソン。
 若い頃は何をしていたのかギャリソン。

◆16話「ブルー・ベレー哀歌」
 ビューティと街に買い物に訪れた万丈に襲いかかる、謎のスケボー集団。彼等は世間を見返す為にメガノイドのソルジャーとなった、 はみだし者の少年達であった。メガノイド側近(コマンダーより格上らしい)は彼等を利用して万丈抹殺を図るが、最終的には彼等を 見捨てていく。
 特殊装置により4人で一つのメガボーグとなった少年達、その隊長の中に妹を思いやる心を見て取った万丈は戦いを止めるように説得を 試みるが聞く耳を持たれない。しかし戦闘の被害で発生した地割れに妹が落ちそうになったのを見て、それを助ける隊長。無事に助かった 妹が彼の胸に飛び込むのを見て、万丈は、メガノイドのソルジャーとなった彼等を、赦す事を選ぶのであった。
 敵サイドの背景を中心とした筋としては、
 〔家庭への反発→世間への劣等感と敵愾心→力を求めて悪魔に魂を売るがその悪魔からも捨て駒として扱われる→兄妹愛による救済→ 人生をやりなおす〕
 と非常にオーソドックスな話なのですが、ラスト、抱きしめ合う兄妹を見て、メガノイドのソルジャーへと堕ちた兄を赦す事を選ぶ時の、 万丈の表情が素晴らしく秀逸。
 ぐっと歯を噛みしめ、いわば苦虫を噛み潰したような顔で、兄妹の元を去っていく万丈。
 ここに来て、ただひたすらメガノイドを悪として討ってきた万丈が、メガノイドそのものを憎むのではなく、悪魔の心を持った(人間の 善性を捨て去った)メガノイドをこそ憎む、という変質が明確に描かれています。
 意図的な変質というよりは、ここ最近のシナリオの流れに合わせての後付け、ではあるのでしょうが、とにかく万丈の表情の描かれ方が 素晴らしい。
 大筋としては月並みといっていい(ベレー隊長の親との折り合いの悪さや、そんな中で兄を思いやる妹の図など)のですが、表情という ワンカットで、ぐっとドラマのレベルを引き上げた、少し珍しいタイプの逸品。

◆17話「レイカ、その愛」
 海底から復活した、ルーミス帝国。“世界が平和になった時に目覚める”筈だったルーミス帝国だが、メガノイドに与したその将軍 ダムデスにより、皇帝アキラスの超能力が利用されようとしていた。
 帝国に潜入した万丈とレイカだが、レイカが皇帝に囚われてしまう。読心能力によりレイカの心を読み、ダムデスの裏切りと地上で争乱 が繰り返されている事を知った皇帝アキラスは、かつてアトランティスを海に沈めたように地上の大陸を沈め、人類に裁きを下そうとする。
 レイカの決死の説得により大陸沈没は回避されたが、アキラスは帝国に戦闘を持ち込んだものとして、メガボーグ化したダムデス を司祭達との超パワーにより処刑。ついでダイターン3ごと万丈も超パワーにより処刑されそうになるが、万丈を守ろうとするレイカから 放たれたハート型の念動力を受け、アキラスは攻撃を中止。「地上が楽園となるか地獄となるかは、おまえ達次第だ」と言い残し、再び 帝国を海底深く沈め、眠りにつくのであった……。
 Aパートの内にダムデスがメガボーグ化、地表でダイターン3が戦っている内に、“ここまでの話の流れにおけ る善悪観を超越した存在”として登場したアキラスが人類を割と勢いで抹殺しようとし、それにレイカが抗う、という面白い 二重構造。
 万丈はひたすら、ちゃんちゃんばらばら、しているだけで、話の根っこの埒外。
 最後、謎の超パワーで処刑されようとしていた時も、“万丈の正義”がアキラスの心を動かすのではなく、あくまでも“レイカの想い” がアキラスを押しとどめるのであり、万丈にとっては何が起こっているのかさっぱりわからないまま。
 この構成は興味深い。
 今回に限った話ではなく、万丈は、気障で格好良くてスーパーマン的なヒーローとして描かれているにも関わらず、物凄く頻繁に、 仲間に助けられます。
 この重要な命のかかった局面でも、万丈のヒーローの論理が押し通るのではなく(通常のヒーロー物ならそうなる)、それと知らない所 で仲間に助けられる(ラスト、なんとなくレイカに助けられた事を察しているような描写は入る)。また、そこには哲学としての正義も悪 もなく、超越者たるアキラス帝も含め、非常に個人的な想いの交錯だけがある。
 この、(少なくとも、レイカ、ビューティ、トッポにとっての)力を貸したくなる男として描かれる破嵐万丈、というヒーロー像は 面白い。
 またそれが、それほど長くない付き合い(少なくともレイカ、トッポは本編始まってから)の中として描かれる、というのも面白い ところ。
 その辺り、視聴者が受け入れやすくする為に、二枚目と女性二人・弟分キャラ、という構成になっているのでしょうが。
 破嵐万丈という男の「人間的魅力」は、他者のリアクションを通じて描かれている。
 一方で視聴者の目線では、万丈は、筋力・身体能力・精神力がずば抜けているので、仮に仲間に助けられなくても何とかなるんだろうなぁ と見えるのが、造形と構成の巧い所。
 最後、レイカが謎のピンク波動(とアキラスには見えるもの)を放つ所は唐突といえば唐突なのですが、司祭達をまとめる女司祭が レーネード(作中の発音としては「れいねーど」)という名前で、まあそういう解釈もありかもね、という感じなのかな、と。

◆18話「銀河に消えた男」
 火星のメガノイドを裏切って逃げ出した男・ミナモトを追い、新型メガノイド・スペシャル1号が、地球へと現れる。ミナモトからの 救難信号を受けて救出へ赴いた万丈だが、敵の罠にはまってしまう……。
 非常に欲望の面で人間くさいメガノイド・コマンダー達にコロスさんもやはり問題を感じていたのか、ドン・ザウサーの命令にひたすら 忠実な、新型メガノイドが登場。人体を改造したサイボーグであるメガボーグよりも、ロボットに近いというスペシャル1号は任務に忠実、 頭脳も優秀。ただしドン(コロス)の命令に対する遵守機能が強すぎる、という欠陥あり。
 ゲストキャラであるミナモトは、万丈達の過去を知る重要人物。万丈の父・破嵐創造こそが、宇宙開発の為に、メガノイドの原型と なったサイボーグを開発していたという事が明かされる。
 結果としてメガノイドの誕生は人類の悪夢となった。がしかし、創造博士の目指した人類の希望としてのサイボーグ開発は間違って いなかったと信じるミナモトは、火星でサイボーグの研究を続け、その為にメガノイドに重用されてもいた。しかし、新たなメガノイド ・スペシャルの開発に携わった事から、その恐ろしさを万丈に伝えるべく、火星を脱走。
 本作の背景が語られると共に、ミナモトは科学とその発展の二面性を象徴するキャラクターとして描かれています。
 スペシャル1号はスペシャルらしく、ダイターンと激戦を演じ、最後は金色に光る超パワーで、サンアタックを受けながらも、 ダイターンの脚部を破壊。与えられた任務の為には自らの死をもいとわない、という今までのメガノイドにはあまり無かった部分が 描かれます。
 スペシャル1号の奮戦もあり、デスバトルにさらわれていくミナモト……このまま火星に連れていかれてしまうのかと思いきや、 ラストでまさかの、銃を乱射しながらのブリッジかちこみで、ソルジャー皆殺し。そしてメガノイドと人間との争いに疲れ果てた彼(描写 としては戦闘で負傷して死にかけているようにも見える)は、戦いを万丈へと託し、メガノイドの手の届かない、宇宙の彼方へと、 そのまま飛び去っていく……。
 ダイターンの損傷によりデスバトルを追えなかった万丈は、ミナモトが消えていく空を見上げながら、かつて彼が火星から自分を脱出 させる為に戦ってくれた姿を思う……としんみりとしたオチ。
 やたらにミナモトを気遣う万丈、二人の過去に何があったのか、が最後の最後に明かされるというのが筋としてはいい所。
 ところで、敵コマンダーと万丈がミナモトを巡って争い、「ミナモトを捕まえろ!」「ミナモトさんは渡さない!」など連呼している のに何か妙なデジャヴがあるなと思ったら、『絶対可憐チルドレン』(椎名高志)だ(笑)

◆19話「地球ぶったぎり作戦」
 ビューティの父の頼みで、観光船で月へと向かった万丈一行。ところが月面には、地球を目指す途中でエンジントラブルにより不時着 したメガノイドとその巨大兵器の姿があった。修理部品を探すコマンダーにより、巨大メカの磁力装置に引きつけられてしまう観光船、 そして月面に並ぶ金属の山の正体は――?
 サブタイトルは、敵コマンダーの立案した、地球を一周するような巨大な金属鋸刃を用いて地球を真っ二つにし、その断面を人間牧場と して利用しようという、聞いた段階で止めて下さいコロスさん、というトンデモ作戦。
 金属の山の正体は、その切断に用いる、不時着時に月面に積み重ねられた丸鋸の刃。この絵が壮観で、SF的な大仕掛け観が出ていて 凄くいい。これぞまさしく「SFは絵だ!」
 このトンデモな作戦を敢行しようとするのは、弱気で見た目からして如何にも情けない感じの駄目コマンダー・バンチャーと、デガラシと ドビンという、名前からしてお笑い一直線の駄目ソルジャーによる3人組。こんな感じでおふざけ要素の強い回と思いきや、これが思わぬ 名作回。
 弱気で頼りないコマンダー・バンチャーを本当は始末したいのだけど、ドンが許可してくれないので、呆れながら怒るコロスさんが やたらに可愛い。
 ソルジャーが万丈とバンチャーを呼び間違える天丼ネタなど、間抜けなやり取りで笑いを取りにいく展開で前半は万丈サイドの動きも コミカル要素が強いものの、月へ呼ばれたダイターン3を、磁力装置と万丈らの叫び声(「ダイターン・カムヒヤ!」)で取り合う (ここはギャグ)展開から一変。
 磁力装置で万丈らの掛け声を押し切りダイターン3の奪取に成功したバンチャーは、「俺は初めて男同士の戦いに勝った」(転機 となるこの台詞が実にいい)と様子が一変、ぐっと男らしい顔つきに。ここで表情の変化と共に、台詞回しも変えてくる辺りが実に巧い。
 自信をつけて一皮剥けたバンチャーが、この功績で部下が増えたら自分たちは見捨てられるのではと心配する駄目な部下二人に「お前達 を見捨てることはない。3人でいい夢を見よう」と盛り上がる。
 しかしこの後、見ていてビックリするほど、あっさりと万丈に倒されるソルジャー二人。
 ここで引っ張りすぎないのも秀逸。

 復讐に燃えてメガボーグに変身するバンチャー。
 「メガノイドの中でもクズだった俺達3人を」
 「なに?!」
 「その可愛い二人の仲間を、貴様ぁ!」
 人間の心を持たない筈のメガノイドが、怒りと共に涙を流して襲いかかってくる事に戸惑う万丈。しかし結局はザンバーで切り伏せる。
 「わかったぞ……あれだけの凄い武器を作りながら、おまえにソルジャーがたった二人しか与えられなかったわけがな」
 仁王立ちするダイターン3→背後で爆発するバンチャー→ダイターン3の顔のアップ。
 「たった二人のソルジャーの為に戦えるコマンダーなぞ、メガノイドのクズだよ」

 憎しみと悲しみの間で揺れる万丈の台詞が実に秀逸。
 ラスト、月面に3人の墓石を立てる万丈。仲間達から、あんなやつらにそんな事する事ないのに、と言われ「あはは」と肩をすくめて、 それ以上は語らない所がまた、素晴らしい。
 ここまで積み上げてきた物語性を見事にドラマとして組み上げた、『ダイターン3』という作品の持つ要素を活かしきった名品。
 万丈のやるせなさと共に、ラストで、コロスがバンチャーを始末したかった“本当の理由”が語られている所がまた、絶妙。
 星山さん脚本回なのですが、改めて、星山博之という脚本家は、もっと評価されていいと思う。富野監督と組んだ時に限った話ではなく。

◆20話「コロスは殺せない」
 万丈、遂にコロスとまみえる。
 コロスの使う、南京球簾みたいな謎の武器が格好いい。
 コロスに人質にとられたビューティを前に、
 「ビューティ、すまない。僕はビューティを助け、コロスを倒せるほど、格好良くは出来てはいない」
 という、名台詞の回。
 ここまでずっと、自信満々に敵の罠へと飛び込んでいくスーパーヒーローとしての万丈像を描いてきたからこそ、この台詞の重みが 増します。
 引き金を引く万丈、結果的に逃げるコロス、気丈にそれを受け入れるビューティ。
 コロスの補強話であると共に、万丈と仲間達の繋がりの話なのですが、その裏で3段仕掛けで囮作戦を行っているギャリソン、悪魔。
 あと、コロスに痛めつけられたビューティに万丈がちょっと優しくするのですが、ビューティがしつこく寄りかかってくると、放り投げて しまうところが面白い。
 最終的な放映スケジュールがどのぐらいの段階で決まったのかはわかりかねますが、ちょうど全体(全40話……放映期間としては ぴったり10ヶ月)の折り返しとなる第20話で、万丈とコロスが相まみえる、というのはなかなか運命的。
 そしてそのエピソードで、万丈が自分自身の格好良さを否定する
 メガノイドとの孤独な戦いを演ずるにあたって、恐らくは“格好いい”という事で自己を武装してきた万丈が、仇敵コロスを前にした 時にその仮面を脱ぎ捨て、「仲間を見捨てる」という選択肢を取ってでも自分の目的を果たそうとする。
 ここで初めて、万丈が“裸”になる。
 18話ラストでも多少、万丈の生の面を見せておいて、20話で一つのターニングポイントとしての仕掛けで、それを見せるという 流れも巧い。
 ビューティやレイカが、万丈の持つ本質的な冷たさを理解しているのか、それとも何だかんだで助けてくれると思っているのか、は 物語全体の中では作劇の都合などもあり濁している部分もあってハッキリとは断定できないのですが、この回では、命を賭ける覚悟の部分 を二人ともが見せてくれます。
 一方で万丈のスタンスは終始、「僕に命を賭けてもいいと思えば賭ければいい、そうでなければ去ればいい」という感じの所が あって、そこで多少の思慕を込みでも、「命を賭けていいと思える男」としての万丈の人間的魅力が描かれている、というのが17話で 書いた事に繋がる部分。
 この回は17話のレイカ回に対応するビューティ回という側面も持っているかと思います。
 万丈と美女二人の関係というのは、美女二人の思慕も熱烈な愛というほどでもなく(だからレイカとビューティの対立ははじゃれあいで 済む)、万丈は二人に格好いい所を見せる、代わりに二人は万丈を助ける、という一種のギブアンドテイクのようなものと、取れなくも ありません。
 そういう観点で見るとこの回は、万丈が1回ぐらい格好良くなくても受け入れてあげる、とビューティが女の懐を見せてみた、という 部分もあるのかもしれません。
 なびいてくれなかったけど(笑)
 万丈は万丈で、仲間達によく助けられる割には、「余計なことしてくれちゃって」という態度を取る事が多いのですが、それは彼が 彼自身である為に、彼の“格好良さ”を貫き通す為に必要な事ではあるのでしょう。故に仲間達に一定の信頼は置いているものの、万丈は いつでも、孤独に戻る覚悟を抱えている。
 ギャリソンは多分、自分の能力を最大限に活かせる職場というのが、一緒に居る理由(笑)
 “人類の敵”メガノイドに対する防衛意識としての敵意はあるものの、万丈を除けばそれを声高に叫ぶほどではなく、思想的正義の 裏付けなく、かといってビジネスでもなく、友情も絆も奇跡を起こすほど強くはないが、それぞれがそれぞれの為に、なんとなく一緒に やっているという、万丈と仲間達の関係というのは終始不思議なバランスで、この作品の妙。

 ところで、著書『映像の原則−改訂版−』(キネマ旬報社)で富野監督は
 キャラクターの服装が同じなのは、アニメでは変えてはいけないことだったからです。
 いろいろなアニメーターが描かなければならないキャラクターの服装を変えたりしたら、そのキャラクターが同じキャラクターに 見えなくなってしまう危険があったからです。ですから、髪型を変えることなどはもってのほかなのです。
 (中略)
 これを是正する方法は、発見されていないのですが、ぼくはこれにチャレンジする機会を手に入れて試してみたことがあります。
 1999年から2000年にかけてオンエアされた『∀ガンダム』という作品で、同じキャラクターでも服装や髪型を変えてみましたが、 現在のアニメーターの技量は、TVシリーズでもそれを表現できるところまできたと確認できました。
 もちろん、キャラクター・デザインそのものも昔のレベルと違うからでもあるのですが、演出的にも配慮もしたつもりですので、作品 全体が柔らかくなったという印象があって、演出家としては大変嬉しい結果でした。
 と書いているのですが、実は今作では割と、万丈達の服装が替わります。
 レイカは基本パターンが二つ存在しますし、万丈は基本のオレンジジャケットの他に結構な頻度でゴルフウェアみたいな服を着て いたり。他にもタキシードだったりパンツ一丁だったり、意外と一番服装パターンが少ないのはビューティかもしれない。ギャリソンは、 ギャリソンゆえに参考外。
 今回はそれが伏線(コロスが、ソルジャーに変装させたレイカとビューティを人質のように使ってくるが、それを見越して二人に普段と 違う服装をさせていた事で、万丈はそれに引っかからない)でしたが、監督の中で『ダイターン3』では演出的にあまり上手くいかなかっ たイメージで、いつか再挑戦したかったという事なのかもしれません。
 まあ、服装を変えるならその事に意味を持たせないと“演出”にはならないけれど、今作の着替えにはそこまでの意味性は無いので、 その辺り、という事なのでしょう。




◎前半戦まとめ
 実に面白い。
 もはや伝説といっていい『無敵超人ザンボット3』と、言わずと知れた金字塔『機動戦士ガンダム』の間という放映タイミング、一話 完結形式の古典的フォーマットに則った上でコメディ寄りの作風、頻繁に崩れる作画、などといった条件が重なっている事で、キャラクター 面以外の評価が後回しにされている感がありますが、充分に見応えのある、富野由悠季(喜幸)の力量が窺えるシリーズ。
 出来のばらつきはありますし、私自身も評価の低いエピソードは幾つかありますが、何をおいても1話は絶品。
 〔バンダイチャンネル〕で、会員登録しなくても(多分)1話だけは無料で 視聴できると思いますので、興味を持たれた方には、是非見てほしい。
 どこへ出しても恥ずかしくない、普遍的な娯楽活劇の魅力が溢れています。

 今作の評価が難しくなりがちなのは、わかりやすい所で言えば、例えば『ガンダム』もそれなりの頻度で滅茶苦茶な作画の回があります が、大きなストーリーが常に進行しているので、ある程度は1話1話のクオリティに関しては誤魔化しが効くし、その大筋を評価すれば いい。ところが、基本的に単話の面白さで勝負する事になる今作では、作画の崩壊がそのままエピソードに締めるマイナスの影響が非常に 大きいし、散見される練り不足のシナリオも、その存在そのものが目立ってしまう。
 動けば良いというわけでは無いですが、動くに越した事も無いわけで、幾らなんでもこれはという作画の影響は少なくありません。勿論、 作画が良くても駄目な回は駄目だし、逆に作画が悪くても良い回は良いわけですが、シナリオが練れている時は作画も比較的頑張っている 傾向がある気がするのは、制作サイドの方でも緩急をつけているのか。
 ……というよりも、シナリオが練れていれば物語の中の緩急がわかるので、演出もそこに重点を置けるし、作画も力配分が出来る、と いう事で、結果的にテンポ良くバランスが取れて見えるという事なのでしょうが。
 そういった形で、幾つかの要素が重なってお世辞にも平均したクォリティが高いとは言えない為に、全体を手放しで誉める事は出来ず、 かといって単話で構成されているので、大筋の物語も語りにくい。シリーズ内の波の高低をどう評価すればいいか、というのが難しいと いう面があります。
 同時にそれは、俗に言う笑いのツボを広範にフォローしなくてはいけないコメディ作品の難しさ(本格的なギャグ作品であれば、これが 私の笑いだ、と前面に押し立てる事が出来るのでまた事情は変わる)でもあります。
 一方で、コメディ寄りながらも背骨に存在するしっかりとした物語性が徐々に見えてくるというのは、本作の構造的に面白い部分。

 メガノイド側の大まかな目的は2話で明かされるものの(但し、実際にやっている事は個別の戦闘行動)、破嵐万丈という主人公の 素性が明確になってくるのは、なんと13話。それまで謎の金持ちヒーローで通して、18・20話で、物語の全貌がようやく見えて くる。
 人間を家畜と考えるメガノイドが本を正せば人間ならば、そのメガノイドを生み出したのもまた人間。
 そしてその戦いの中で、人間と人間をやめた者の姿から、真の「人間性」とは何か? が問われる。
 エッセンスだけ抜き出すと非常に普遍的かつ重厚なテーマを軽妙なタッチで包み込んでいるのが今作の面白い所であり、同時に、一見 してわかりにくい所。
 最初からかちっと計算していたというよりは、基本設定を元に出てきたエピソードを組み上げていってアクロバット的にまとめて いった感じなのですが、そういった構造が見えてきた時に、単話と単話が繋がって、もう一歩先の面白さが見えてくる、というのが実に 面白い。
 前半20話、特に好きなエピソードは、

 第1話「出ました! 破嵐万丈」 、第2話「コマンダー・ネロスの挑戦」、第4話「太陽は我にあり」、第5話「赤ちゃん危機一髪」、 第10話「最後のスポットライト」、13話「前も後もメガ・ボーグ」、16話「ブルー・ベレー哀歌」、17話「レイカ、その愛」、 19話「地球ぶったぎり作戦」

 といったところ。
 だいたい半分。
 前半戦の感想比率としては、(面白い:50% ほどほど:25% いまいち:25%)ぐらいの感じ。
 魅力的な作品なのですが、素直な感想が全体の半分面白い、という作品を世間に布教する為には、正直に書くしかない、と(笑)
 その上でなお、面白いのだと。
 特にこれ、というのをチョイスするなら、1、10、19話。この3本は傑作。

 シリーズの構造としては、1〜5話までで物語の基本的な構図とテーゼを置いて、6話からしばらくは、作風の模索期間。クールの 切れ目の12話で過去話をやって、13話で作画節約。そこまでのエピソードと流れを受けて、作品の方向性がはっきりと定まったのが 16話辺りではないかな、と受け止めています。
 6話〜15話の間ぐらいまでは若干のブレも見えた万丈のメガノイドへのスタンスが、“赦し”の部分も含め、定まった所かな、と。
 で、大筋の進行がある18話と20話に挟まれた19話が、それらを受けた前半戦の集大成的エピソード。
 まあこれはあくまで、1〜20話までで全体を半分に割った状態で見た構成の考察ですが、物語のターニングポイントが20話だと すれば、万丈のターニングポイントは16話なのではないか、と思います。

 好きなキャラは、ギャリソン時田。
 謎すぎる執事、ギャリソン時田。
 記憶よりも、忠実とか誠実とは縁遠い人だったギャリソン時田。
 彼が誠実なのは、“自分の仕事”に対してであって、決して個人ではない、という恐るべしギャリソン時田。
 あと中盤から明らかに監督の愛が溢れ出すコロスさんは、愛が溢れているだけにどんどん可愛くなっていくと言わざるを得ません(笑)  困っていると、とても可愛いコロスさん。故にさん付け。
 主人公も、好きですが(念のため)。


(→後半戦)

(2012年5月17日)


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