ブログ「ものかきの繰り言」の方に連載していた『激走戦隊カーレンジャー』 感想の、まとめ8(43話〜最終話)です。文体の統一や、誤字脱字の修正など、若干の改稿をしています。
- ◆第43話「メリー クルマジック クリスマス!!」◆ (監督:田崎竜太 脚本:荒川稔久)
- 「忌々しいハザード星人め、お前達の息の根を必ず止めてみせる。正義のクルマジックパワーを使ってな……ははははははははは!!」
若い頃に給食のプリンでも取られたのか、ハザード星人に個人的な憎悪を見せる暴走皇帝は地球へ逃げおおせたダップの追跡を指示。 その地球では、本官の助言を受けたカーレンジャーが、RVロボの全エネルギーを使って操縦席のグラッチにダイレクトアタックする事でサメロボ撃退に成功する。 不時着したダップの元へ向かう5人だったが、目を覚ましたダップの耳には、宇宙に散った筈のVRVマスターの声が響く……。
「パパ! 生きていたんダップね!」
「パパ?!」
だがダップが駆け寄ったVRVマスターはゼルモダの変装(割と小芝居するなぁ(笑))で、 再びボーゾックの手に落ちたダップはガイナモが操縦する陸の覇者・ランドズズーンの体内に、乾電池よろしく囚われてしまう。
暴走皇帝エグゾスの真の狙い……それはカーレンジャーからクルマジックパワーを奪うだけでなく、 ダップの持つクルマジックパワーをアクマジックパワーに転換して悪用する事にあったのだ!
3大ロボの元ネタと思われる『超神ビュビューン』(1976)は『アクマイザー3』(1975)の続編であり、 ビュビューン達はそれぞれアクマイザー3の魂を受け継いでいる、という設定を踏まえた親世代向けのパロディネタをこの局面で突っ込んできて凄い(笑)
ズズーンから放たれたアクマジックパワーにより、自動操縦モードとなったサメロボが再起動し、更にワシロボも再登場。 カーレンジャーは3体の超神ロボにVRVマシーンで立ち向かい、合体エネルギーさえ残っていないのでVRVファイターで戦いを挑む、 というのは良い活用。
そしてガイナモ、第1話以来の気がする、最前線。
「アクマジックパワーがどんどん蓄積されていくぞ。ふふふふふふ」
「体中から力が抜けていくダップ〜」
総長の肩書きは伊達ではなく、働くと案外強いガイナモはVRVファイター&サイレンダーを追い詰め、必殺の火の玉アタック。
「みんな……みんな、ごめんダップ……」
「なんだよそれ、諦めるっていうのかよ!」
「私たちは、絶対に諦めないからね!」
「そうでございます!」
「俺たちはな……俺たちが頑張るのはな、おまえと一緒に、クリスマスがしたいからなんだよ!!」
「え……? みんな……なにヒーローらしくない、個人的な事を言ってるダップ〜。そんな事を言う皆なんて…… そんな事を言う皆なんて……大好きダップーーー!!」
ダップが叫んだ時、溢れ出したクルマジックパワーがエグゾスの予想を遙かに上回り、 想定外の多量のアクマジックパワーを受け止める事になった超神ロボはオーバーヒート。
これまで「一般市民」と「ヒーロー」との間を軽やかに行き来する――逆にいえば、 「一般市民」と「ヒーロー」を意識的に切り分けていたカーレンジャーですが、 「ヒーロー」としてのエネルギーが「人間」としての繋がりから生まれている事を知った時、「人間」としての願いを口にする事で、 「ヒーロー」として強くなる。
何故ならば、それを守る為に「ヒーロー」は居るのだから。
すなわちここでは、陣内恭介、土門直樹、上杉実、志乃原菜摘、八神洋子、 5人の一般市民の願いをかなえる為に「激走戦隊カーレンジャー」は戦っており、 そこではダップが理想化するヒーローとしての一線を越えながら、しかし同時に限りなくヒーローをしているという、 「仮面の変身ヒーロー」という構造が、極めてアクロバットに機能。
これにより、“社会性を持った大人”の集団であるカーレンジャーにおいて、 自分の中の「一般市民」を捨てないヒーローという一つのヒーロー像が確立したといえます。
繰り返しギャグとして使ってきた「一般市民」こそが、実はカーレンジャーの核を成しているのだ、という仕込みの用い方はお見事。
「俺だって……俺だって……」
「「「「「大好きだーーーーー!!」」」」」
そして、全員揃ってとはいえ、恭介がゾンネットより先にダップに告白してしまった(笑)
「ダップ、クリスマスパーティを、一緒にやろう!」
「うん!」
夢見る絆の力で限界を超えたクルマジックパワーはアクマジック転換システムの性能を上回り、 フルチャージされたVRVマシンは必勝合体。赤がRVロボに乗り込むと二大ロボのコンビ攻撃でワシとサメを粉砕し、 VツイスターをRVソードで切り裂いて散弾にするという神業でダップの救出に成功。 ライオンロボも無惨に蜂の巣になってガイナモは辛くも脱出し、ここにカーレンジャーは大勝利を遂げるのであった。
しかし、再会を果たした5人とダップはクリスマスパーティーを開くも、父を失ったダップの暗い表情は晴れない……
「それよりみんな、家族と一緒のクリスマスは、いいダップ?」
「なにを言うてんのや〜。この6人かて、家族みたいなもんやないか〜」
なんとかダップを元気づけようとする5人だが、その時、会場の片隅にいつの間にか置かれていたプレゼントが目に入る。 中を開けると入っていたのは、6本のコーヒー牛乳とクリスマスカード。
[戦いの後とクリスマスケーキには コーヒー牛乳がよく似合う。 …………またいつか会おう。]
最低だこの人!!(笑)
まあ考えてみるとVRVマスターも復讐者としての性格を十分以上に持っているわけですが、 ダップがカーレンジャーとしての交流を通して「戦士の狂気」から抜け出そうとしているのに対して、 「戦士の狂気」と「クズ父道」の両方につま先からヘルメットのてっぺんまでどっぷり染まってしまっており、今一番、 先行きが不安なキャラです(笑)
ダップはクルマジックで地球にホワイトクリスマスをプレゼントし、家族にカードを送るシグナルマン、 地球(に投影したレッドレーサー)に向けて乾杯するゾンネット、の2人が挿入されたのは高ポイント。
前回に続き、最終章を前にこれまでの要素と仕込みを拾い集めて、カーレンジャーとは如何なるヒーローか、を綺麗にまとめ、 ダップとの一体感も強化。特に、ヒーロー、ヒーローの力、と合わせて支援者ポジションの存在意義をしっかり描いたのが良かったと思います。
次回――後回しになっていた菜摘回。「パパの車に乗るときは、シートベルトを締めようね!」。
- ◆第44話「不屈のチキチキ激走チェイス!」◆ (監督:竹本昇 脚本:曽田博久)
- 竹本監督デビュー作。
恭介達とダップの絆が育んできた夢の力により、カーレンジャーが大逆転勝利を収めた事で地球は無事にお正月を迎え…… 宇宙でもいまだ緊迫感にかけるボーゾックが、ダラダラと飲み正月を過ごしていた。
「たわけもの! いついかなる時も、宇宙暴走族は宇宙暴走族らしく、荒々しく走り回るものだ」
……意図的に対比した台詞ではあるのでしょうが、エグゾスとVRVマスターって、生き別れの兄弟なのでは(笑) 何やらハザード星人に対して個人的な執着があるようですし、正義の星座伝説に選ばれなかった事で戦士失格の烙印を押されてハザード星を追放された、 「兄より優れた弟なぞ存在しねえ!!」みたいな人なのでは。
そう考えると、抑圧された少年時代の反動で、素っ頓狂なロマン主義に傾倒してしまった事にも頷けます。
怒れるエグゾスに対して、昨年の激闘で手持ちの車が全て故障中と説明……て、グラッチ生きてたーーー?!
てっきり、クリスマス決戦だし幹部の1人ぐらい始末しておくか、というノリでRVロボにダイレクトデリートされたかと思っていたグラッチですが、 凄く普通に生存していました(笑)
負ける事に慣れすぎてしまい、楽しい暴走集団に堕落しつつあるボーゾックへエグゾスは、遠い昔チーキュに流れ着いたという噂がある、 大宇宙の悪の伝説のスパナを探せと指示。
「97年型ニューモデル、エグゾスターをレンタカーしてやる!」
……活動資金源として自動車会社も経営しているのか(笑)
その頃地球では、ブラブラ散歩していた恭介達が、妻子を乗せてドライブしていた本官がエンストで困っている場面に遭遇し、 菜摘が鮮やかに修理。5人がシグエ(妻)とシグタロウ(長男)と初顔合わせするのですが、シグエの、 シグナルランプを某超有名マンガ主人公を思わせるシルエットにあしらった姿は、今作における地味に会心のデザインだと思います(笑)
「ところで菜摘……もしかして、いっつもそのスパナ持ち歩いてんの?」
洋子、今更ながら、友人の性癖に若干引く。
「うん。このスパナは……」
ところがその時、エグゾスター’97で飛び込んできたボーゾック1のメカニック、MMシューリスキーにより、菜摘のスパナが奪い取られてしまう。 菜摘愛用のスパナの正体はなんと、大宇宙の悪の伝説のスパナだったのだ!
スパナはシューリスキーの手に渡ると、巨大でおどろおどろしい外見の悪のスパナの本性を発揮し、 追跡してきたイエローの車を瞬間タイヤ外しでクラッシュさせる。
カーレンジャーは、ペガサスサンダー(赤・桃)、ドラゴンクルーザー(青・緑・黄)に分乗して怪人を追い、 怪人はスパナの力による瞬間改造で後方へ向けて次々と、排気ガス、バズーカ、ノコギリの刃を飛ばす、という、 サブタイトル通りのチキチキ猛レースで、久々のカーチェイスアクション。
ペガサス車は空を飛ぶというズルでノコギリを回避するが、直撃を受けたドラゴン車が大きな損傷を受けてリタイア。 しかし追撃するペガサス車もミサイルの直撃で飛行能力を失ってしまった所に、増援のゼルモダに挟み込まれて、 追いかける身から追われる身に逆転してしまう大ピンチに。
「あれは、私にとって、大切な、思い出のスパナなのよ……」
菜摘がいつも持ち歩いていたスパナ、それは小学生の頃、機械いじりに興味を持つようになり近所の修理工場に通っていた際に、 工場長の老人からメカニックの心得と共に貰ったものであった。
「元は、宇宙の悪のスパナなのかもしれないけど、私にとっては、大切な宝物なの。お守りでもあるの」
土門と実にクラッシュしたドラゴン車の修理を頼まれるものの、お守りを失った菜摘は自信も一緒に喪失し、手が止まってしまう。
「あれは、もともと宇宙の悪の伝説のスパナ……あれには、何か特別な力があったのよ。そのお陰であたしも、 メカニックが務まっていたのよ。あたし自身には、なんの力も無かったんだわ!」
これまで菜摘が幾度となく見せてきた常人離れしたメカニックとしての能力は、マジックアイテムのお陰だったの? というエクスキューズ的なエピソードと見せておいて、菜摘自身からそれに言及させる事で、それは問題の本質ではなく、 乗り越えるべき課題である、としてきた流れは秀逸。
一方、挟み撃ちで絶対絶命に陥っていた赤桃だがその時……!
「正義の交通ルールを守りましょう!」
「父ちゃん頑張って!」
「任せろ!」
妻子を乗せたままのシグナルマンが駆けつけると、息子の声援を受けながら、片手で車を操り片手で銃撃するという離れ業で、 ゼルモダをワンショットバーストする、熱い見せ場。
「そんな、たった一発でぇ!」
最近忘れていたけど、そもそも射撃の達人なのでした。
“ダップとカーレンジャー”のエピソードにおいては外部の人間になってしまうが (内側に取り込もうと思うとまた劇構造を変えないとならないので)、かといって絶体絶命のピンチにまるっきり出てこないのは都合が良すぎる、 という事でここ数話、雑な扱いが続いていたシグナルマンだけに、妻子の前で活躍する ――単身赴任のお父さんが、昼間のパパの格好良さを見せる――というのは、凄く良かったです。
その後、調子に乗りすぎて、ミサイルをかわすもクラッシュしてしまったのは、ご愛敬(^^;
「ごくたまにこういう事もある」
余談になりますが、次作『メガレンジャー』におけるメガシルバーの、社会的立場の違いから完全に問題は共有できないが、 より身内に近い存在、というポジションは今作のシグナルマンを踏まえて、シグナルマンで出来なかった事をやろうという意図もあったのかな、と思う所。
その頃、土門と実の励ましを受けるも菜摘は修理に取りかかる事が出来ず、青緑はとにかく徒歩(カート?)で救援へ向かう事に。 土門も実も文句1つ言わずに菜摘を信じてドラゴンカーを任せていくのが、カーレンジャーらしいところ(菜摘の報復が怖いから、とか言わない)。
レンチを握りしめたまま立ち尽くす菜摘だが……その時、損傷しながらも自力でゆっくりと動き出すドラゴンカー。
「こんなに傷ついているのに……まだ動こうとしてる。みんなを、助けに行くために」
正直、ペガサスサンダーとドラゴンクルーザーは物語の中で収まりが悪かったのですが、ドラゴンカー自身の動き、 「車は車だろ?」と放置していかないカーレンジャーの姿を合わせて描く事で、 ドラゴンカーはあくまで“意志を持った仲間”である事を改めて強調。
ドラゴンクルーザーの姿に、「メカニックは車の気持ちをわかってあげなくてはいけない」という老メカニックの言葉を思い出した菜摘は、 自分に出来る事を見つめ直して立ち上がる。
「お爺ちゃん……あたし頑張るよ。あのスパナがなくたって」
一方、相棒のペガサスサンダーは奮戦むなしくエグゾスターに追い詰められ、とうとう車外に投げ出されてしまう赤桃。 青緑も参戦するが4人まとめて車に轢かれ、今回も危うし交通安全。しかしそこへ修理完了したドラゴンクルーザーが駆けつけ、 勢いに乗る菜摘は、挿入歌をバックにそのまま生身で戦闘へ突入。
並走に持ち込むと変身したイエローは車上バトルでスパナを華麗に回収し、トドメはナビックガン。 悪の手を離れたスパナは元のなんの変哲も無い姿に戻り、巨大化したシューリスキーは、Vツイスターで瞬殺されるのであった。
「お爺ちゃん……これからもあたし、頑張るからね」
で清々しくオチ。
最終章を前に原点回帰のカーアクションを軸に据え、伝説の二台の車を改めて“カーレンジャーの仲間”として描き直す、 車を中心としたエピソード。ここに来て、劇中要素を丁寧に拾っていく今作ですが、性格からするとこの辺りは、 高寺さんのオーダーでしょうか。
上述したように赤青車に関する積み重ねは正直足りていないのですが、 意志が有るか無いかと関係なく車と向き合おうとする菜摘が壁にぶつかった時、具体化した意志を目にする事でそれを乗り越える、 という構造によって補強。
つまり、無機物を意識ある者として扱うキャラクターに対して、無機物が意識めいたもので応える、 という定番の「奇跡」でキャラクターの前進を描きつつ、その「奇跡」は「今作世界のルールでは奇跡ではない」ので、 その正体はあくまで関係性の積み重ねが生んだ力なのだ……と2話続けて、ややこしい。
ところでナビガンは、なぜか登場当初よりも、しばらく間を置いてシグナルマン帰還後の方が頻繁に使われるのですが、 上の方からちゃんと出せ、と怒られでもしたのでしょーか(笑) その分、ギガブースターが目立ちませんが(^^; ギガブースターは、合体武器としてはかなり不遇な扱いの気がしてなりません。
なお曽田さんは、2019年現在、これが東映戦隊ラスト脚本との事。個人的にここ数年で大きく評価の変わった脚本家ですが、 今作を視聴した事で、東映における90年代ラストの曽田さんの仕事を見られたのは、非常に嬉しかったです。
「ZZゼリの、怒りのジャケット作戦も、惜しくもしっぱーい。甚だ遺憾でしたので、今週は逆に、服を脱がせる作戦を、 ぶちかましたいと思います」
は大変素晴らしかったです(笑)
次回――陣内恭介は男を見せられるのか?!「夜自転車に乗る時は必ずライトをつけよう」。
- ◆第45話「ホントの恋の出発点」◆ (監督:竹本昇 脚本:荒川稔久)
- 隠し事が原因でゾンネットにフられる夢を見る恭介、大変重症です。
「まーたゾンネットの夢かいな!」
「いーかげん決着つけたら? たくー、二人していつまでもハッキリしないんだからー」
社内の車内で昼寝していた恭介の背後から、次々と現れる同僚達、相変わらず玩具にする気満々。
「そーだよ! ほんとに好きなら、何がなんでもものにするんだ、って意気込みがなくちゃあ」
「でも、ちょっと複雑でございますよね。ゾンネットが好きなのは、レッドレーサーであって、恭介さんではないんでございますからね」
「「「うん」」」
にこやかにひどいぞ土門(笑)
「俺、正直に言う。俺がレッドレーサーだって」
「「「「うん」」」」
「……ん? ちょっと待てよ? そんな事したらボーゾックに俺等の正体わかってまうんちゃうん? やろ? あかんやん!」
「だから、ゾンネットに、絶対ボーゾック辞めさせてみせるさ。俺の――俺のこの愛で」
もともと状況に酔いやすい気質の恭介ですが、たくましく広がった恋愛妄想の果て、 すっかりナイト気取りになっていてちょっぴり危険。
その頃宇宙では、苛立つエグゾスに対し、ゼルモダが現状打破の一案を持ちかけていた。
「そうだ……とっつぁんの力で、結婚式あげられねぇかい?」
「結婚式?」
最近ぱっとしないガイナモを、ゾンネットと結婚させて人生に張り合いを持たせよう、と世話を焼くゼルモダ(笑)
「……まあ、ものはためしだ」
この際、それぐらいいか的なノリでOKを出す監督。
「かかる諸々の費用は余が全て出してやる」
いい人?だなぁ(笑)
「とびきり盛大にやるがよい」
「太っ腹だぜ! ……さぁて、問題はいまいち、いや、いまさんか、いまよんか、いまごぐれぇその気がない、 ゾンネットの説得だが……」
そこにボーゾック一の縁結びの達人、999組のお見合いを成功させてきたEEムスビノフが現れ、事態は思わぬ展開に……。
一方地球では、神頼みに走った恭介が大吉のおみくじに拳を握り、棒アイスであたりを引き当て、雑誌の占いコーナーに背中を押され、 全てのラッキーを凝縮する一世一代の勝負に打って出ようとしていた。
「よーし、後はゾンネットに会うだけだ! ……て、どうしたら会えるんだ?」
考え込んだところを何故かウェディングドレス姿のゾンネットが横切り(よっしゃラッキー!)、追いかけた恭介は、 ゾンネットが惚れ惚れ弓矢でガイナモとのカップルを強制的に成立させようとする、水引怪人から逃げ回っている事を知る。 レッドレーサーの正体を告白しようとするも言葉に詰まった恭介は、思い切ってゾンネットの目の前で変身! 水引怪人の攻撃に苦戦するが仲間達の援護もあって、恭介はゾンネットの手を取って逃亡する事に。
相変わらず荒川さんの、ゾンネットをいつの間にか正統派ヒロインに仕立て上げてしまう手管が凄い(笑)
宇宙ではガイナモがすっかりその気になっており、カーレンジャーの一斉射撃を受けて一時撤収してきた水引怪人は、 言い訳がてらレッドレーサーの正体が地球の一般市民である事を伝えようとするが……
「カーレンジャーに正体なんぞあるわけねぇだろうが」
あっさり却下(笑)
その頃地球では、教会に逃げ込んだ恭介とゾンネットが非常に気まずい空気の中にあった。
「ごめん、その……俺が、レッドレーサーだって、隠してて…………でも、気持ちに変わりはないんだ!」
「急に、そんな事言われたって……」
「だから! ……だから、改めて言うよ。俺と、と、友達から付き合ってくれないか」
「……あ、あたしが好きになったのはレッドレーサーよ! あんたみたいな……あんたみたいな猿顔の一般市民じゃないもん!」
実際そもそも顔に惚れていたので、強烈な斬撃(笑)
ゾンネットは恭介を振り払うと教会を飛び出していき、海岸線でこれまでのレッドレーサーとの思い出を振り返る。 レッドレーサーの外面を好きだったのか……いつしか内面を好きになっていたのか……乙女心が千々に乱れる冬の海、 再び水引怪人に襲われたその時、横っ飛びからジャンピングパンチを決める恭介。
「ゾンネットに手ぇ出すやつは、この陣内恭介が許さねぇ!」
ジャケットパージした恭介は、あえて生身で怪人へと立ち向かっていく。
「俺は……俺は、俺として、俺のままで、おまえを守りたいんだ、ゾンネット!」
「なんなのよ! なんなのよそれ!」
誤解をきっかけに恋が芽生え、関係を維持する為に仮面を被り続けてきた恭介が、 謝罪と誠意の形として本当の自分自身で戦う姿を見せるのですが、どこかで見たような海岸線で痴情のもつれを描かれると、 数年前に得意の絶頂で背中を刺された某裏次元伯爵の名シーンを思い出してしまって、ドキドキが止まりません(笑)
この場合、刺されるべき間男は、恭介なのかガイナモなのか。
また、自分の中の「一般市民」の願いの為に「ヒーロー」として戦う事は良しとするカーレンジャーですが、 ここではあくまで「陣内恭介」個人の為に「ヒーロー」の力は使わない、という一線を引いているとも見えます。
恭介の果敢なインファイトで全ての矢を破壊されてしまった水引怪人は、切り札の二人羽織能力でゾンネットを操ると、 剣を振るって恭介を切りつけさせ、割とマジな刃傷沙汰に(笑)
ケーキ入刀用の剣という冗談みたいな武器で流血表現に至るというのが、ギャグで人が死ぬ今作らしい所です。
剣をかわしながらゾンネットを止めようとする恭介だったが、遂にその一突きが恭介の体を貫き―― 本当に刺されたーーーっ!
と思われたが、恭介は突き刺さる寸前の切っ先を、素手の拳で食い止めていた!!
「変身なんか、しなくても……やっつけてやるっての!」
「馬鹿じゃない……馬鹿よあんた! あたしあんたみたいな猿顔の男は嫌いだって言ったでしょ! いつまでこんな事してんのよ、 もういいから――」
傷だらけの恭介を見ていられずに、憎まれ口で止めようとする事でゾンネットの秘めた良心を描き、そんなゾンネットを、 力強く抱きしめる恭介。
「……言っただろ……俺がおまえを守るって」
基本的に、相手の同意は一切得てない段階なので、一歩間違えなくてもストーカーの素質があって怖い。
「……恭介……」
勢いに押し切られる形でゾンネットが恭介を抱きしめ返すと、発動したバカップルマジックにより、引きはがされる水引怪人。
「俺が、俺がゾンネットを守るんだ!!」
剣を拾って突撃した恭介は、とうとう生身のまま剣を入刀し、怪人を撃破。 格好つけながら倒れ……たフリで気を引くダップ仕込みの技を披露する(笑)
巨大化する水引怪人だったが、そこにラジエッタが現れ、ラジエッカーロボが巨大化。4台のVRVファイターも参戦すると、 掟破りの分担Vツイスターにより、水引怪人を抹殺するのであった。
ラジエッタが地球に来たのは、エグゾスの大宇宙ハイウェイ計画により資源を奪われ、 ゾンネットの故郷ファンベル星が壊滅の危機に瀕している事を伝える為だった。
「ボーゾックの女ゾンネットとも、これでさよならね。決心ついたのは、あんたのお陰かな」
ラジエッタの差し出す首飾りを受け取ったゾンネットは、マジカルプリンセスに変身。
「ファンベル星の王女、バニティミラー・ファンベルト。それがあたしの、本当の姿」
“レッドレーサーを好き”なゾンネットに対し、仮面のヒーローである事を結果的に利用しているのを気に病んでいた恭介が、 生身の陣内恭介の想いを伝えた時、ゾンネットもまた、偽りの自分を脱ぎ捨て、本当の自分と向き合う決意をする、 という形で相互に補い合う関係性が成立。
それ故に、これはカップル誕生なのではなく、互いに生身の自分として向き合った二人にとっての、 「ホントの恋の出発点」である、というサブタイトルが洒落て利いています。
一方で、うまく足抜けに着地させたゾンネットのボーゾック時代の悪行は本編内ではあくまで間接的なものではあるものの、 今作前半においては“想像力の無い事”こそが「悪」として描かれていたので、 多くの破壊行為を煽動していたゾンネットがやはり悪に属するというのは避けようがありません。しかし、 その「悪」を抹殺する事だけが「正義」なのかというと、「更生」の道を歩ませる事もまた「正義」の姿ではないか、 というのが今作としての一つの落としどころでありましょうか。
率直にカーレンジャー、ボーゾック怪人は割と躊躇なく抹殺するので私情剥き出しでゾンネットを特別扱いしており、それを、 本来の立場に戻る事と、エグゾスの悪事に対抗する、という二つの錘を乗せる事で調整しようとはしているのですが、多分ゾンネット、 これまでの事を反省しているわけではなさそうだし天秤のバランスとしては正直悪い(^^;
カーレンジャー的には、過去の悪事や目の前ではない悪行をベースに他者を断罪できるメンバーかというとそういう性質でもないので、 「ボーゾックを辞めるならOK」というのは、感覚的な着地点としてはわかるのですが。
ただやはり、ゾンネット絡みの話になるとボーゾック直接の被害者であるダップ不在で話が進むのは、 物語としての誤魔化しではあり、出来ればそこは向き合って欲しかったかなと(この後あるかもですが)。
「許す」事が悪いわけではなく、「許す/許さない」の葛藤がすっ飛ばされて「抜けさせればOK」と完結してしまっているのが少々引っかかるのですが、 そこに踏み込んだ場合の重苦しさは作品に合っていない、という判断だったか。究極的には、作品固有の倫理観に基づく、 という話にはなりますが、愛嬌をつけすぎたボーゾックにどう始末をつけるのか、上手い着地を期待したいです。
なんにせよ陣内恭介の双肩には、ノリで惑星一つを花火にしたい発言する上に悪の組織を掌で転がすゾンネット粒子をばらまく、 魔性のプリンセスに二度と道を踏み外させないという、けっこう重い責任が乗ったような(笑)
「前より、もっと、綺麗じゃん……」
俺は露出度に眩惑されていたわけじゃない! とお茶の間に向けて恭介がアピールしてから、ラジエッタの車に乗り込むゾンネット。
「エグゾスを倒したら、俺たち、また、会えるよな?」
「うん。……それまでに、猿顔直しときなさいよね」
かくしてゾンネットは地球を離れて自らの戦いへと赴き、それを見送る恭介達……怒濤の展開で、まさかのゾンネット卒業。 エグゾス登場後、心情的には完全にカーレンジャーに寄っているという描写が積み重ねられていましたが、 ここまで急展開になるとは思いませんでした。
控え室でドギマギしている内に、地球で何もかも終わってしまった総長は、さすがにちょっと可哀想……(笑)
あと構図としては、本来ならゾンネットに結婚を強要する相手役のキャラを仇役に持ってくるべきなのですが、 ガイナモを敵意の対象にするのを避けたかったのか、そういう能力を持っているだけでゾンネットには直接の感情も因縁も描かれない水引怪人が代役になっている為、 それを止める恭介のヒーロー度が、台詞と演出ほど上昇しなかったのは、物足りなかった部分。
ゾンネットにとって恋愛対象としては問題外だし、恭介のライバルとしても認識されないしで、やっぱり総長がちょっと可哀想……(笑)
次回――クルマジックパワー消滅?!「踏切の遮断機が下りたら、渡っちゃ駄目だぞー」。
- ◆第46話「突然失効!? 変身パワー」◆ (監督:渡辺勝也 脚本:浦沢義雄)
- 他の仕事でも入っていたのか、最終章の着地を入念に話し合ったのか、第37話以来となる浦沢脚本。
エグゾスが高笑いし地球が花火になる不吉な夢に跳ね起きるダップ。明るく励ましてくれる恭介達の、 相変わらず緊張感のない太平楽な態度に、これは一言いってやらねばと後を追うダップだが、そこで目にしたのは、 秘密トレーニングに歯を食いしばる5人の姿であった。
(ダップ、私たち全然いい加減、てわけじゃないのよ。実はみんなの期待に応えるのって、嫌いじゃないしね)
(あんまりちゃんとしているとこ見せちゃうと、もし負けた時格好悪いと思って。でも絶っ対負けたくないから、 こうやって体鍛えちゃったりして)
(なーんでおれらが正義のヒーローに選ばれたんかいまだによーわからんけど、これもお母ちゃん曰く、何かの縁というやつやな。ま、 俺等なりに頑張ってみるけどなぁ)
(確かに、会社員とヒーローの、二足のわらじは、ちょっときついのですが、夢を語りあえる仲間と一緒なら、なんとかなるんでございます)
(ヒーローしなくて済む自分に戻る為にも、一日でも早く奴らを倒さないとな。どっからでもかかってきやがれ! 俺たちは、 絶対勝ってみせるぜ!)
実はヒーローとして真剣かつ地道に鍛錬を積んでいた5人の姿を描き、その意志を明示する中で、 それを単純に一つの正義にまとめるのではなく、
みんなの期待に応えたい・負けん気・これも何かの縁・仲間と一緒に
と、自然と感情移入しやすいそれぞれの思いを描き分けているのが、秀逸。
「みんな……ダップが知らない内に、立派な戦士に成長してたんダップなぁ。これなら、宇宙の平和は安心ダップ」
満足しつつも不安を隠せないダップは不吉な夢の正体を調べようとするが、宇宙では一足早く、その原因を待ち望んでいた存在が居た。
「遂に来たか。100万年に一度、この神秘なる大宇宙が酒樽座の流す酒で赤く染まる時が」
その名を、暴走皇帝エグゾス!
「クルマジックパワーの源である5つの星座、それを守る星座たちも、その酒に酔い、浮かれ、戯れる。 その時こそ正義の車伝説の五つの星座を、封印する絶好のチャンス。すなわち、カーレンジャー最期の時だ。 ボーゾックにも最後の仕事をしてもらおう。ぬふふははははは……」
そう、悪の組織が頻繁に酒でダメになるように、正義もまた、酒には勝てないのだ!!
……「星座が酔っ払う」という奇想を平気で流せるようになった辺り、私もだいぶ、今作に慣れてきました。
ゾンネットの去ったバリバリアンでは切ないブルースが流れ、失恋のショックに打ちひしがれるガイナモが、 大宇宙よりも一足早く酒に逃げていた。良くも悪くも純な所のあるガイナモはゾンネットを思って涙を流し…… (一応)悪の組織の首領が涙を見せる、という従来的なヒーロー物の作劇なら大きな意味を持ちそうなのですが、 理由が理由だけにそれすらギャグにしてしまっているように見えなくもなく。
演出としてはそれなりに印象的に扱っているので、後で効いてくるのかもですが。
「泣くなガイナモよ! 今のお前に必要なのは悲しむ事ではない」
そこに突然、どアップで出てくるエグゾス。
「でへへへ、あ、あんたなんかに、俺の気持ちが、わかって、たまるかってんだい!」
「カーレンジャーを憎め」
ズバリ正解です(笑)
「その哀しみを怒りのパワーに変え、奴らを徹底的に痛めつければ、必ずまた運は向いてくる」
占い師としての経験から、メンタルケアの手腕もばっちりです!
「ほんとかよ!」
「エグゾスは嘘をつかない。おまえたちに、最終最強ロボット、ノリシロンファイナルを授けよう」
暴走皇帝エグゾス……
ロマン系・豊富な資金・巧みなマネジメント
と三拍子揃って、悪の黒幕の鑑……!
ガイナモ・ゼルモダ・グラッチは、胸に「最終」と刻み込まれたノリシロンファイナルに乗り込み、地球へと出撃。 いよいよボーゾック総長自ら、VRVロボと激突する!
「ノリシロンファイナル、さんじょー!」
「伊達に隠れて特訓してたわけじゃないぜ!」
「ばーかめ、俺たちボーゾックの暴走に、勝てるわけがねぇだろうが」
ノリシロンファイナルはルストハじゃなかった、「ファイナルタイフーン!」から「ファイナルキック!」そして 「ファイナルフラッシュ!」の怒濤のコンボでVRVロボを追い詰めると、トドメのファイナルツイスターを放つが、 カーレンジャーは咄嗟にVRVファイターに分離する事でこれを回避。
「おめえら、5体1だぞ! 卑怯だとは思ねぇのか!」
「勘違いするな。俺たちは一の力を五分割して戦ってるだけだ!」
多対一で怪人と戦う、という戦隊フォーマットへの揶揄に対する切り返しが主眼かと思われますが、 実際に一の力(VRVロボ)を五分割(VRVファイター)して戦っているので、劇中の理屈は一応通っているという、頭脳プレー(笑) まあVRVロボの場合、一の力がオーバーキル気味なのですが!
それはそれとして再び必勝合体するVRVに対し、変形合体中にFツイスターを浴びせようとするボーゾックだが、 その攻撃を読んでいたカーレンジャーは合体即エアロVツイスターを放ち(特訓の成果感)、本家ツイスターの威力で勝利。 ノリシロンファイナルは敢えなく吹き飛び、辛うじて脱出する3幹部。
「ガイナモ! いい加減ボーゾックから足を洗ったらどうだ!」
前回を受ける形でか、ここでも敵幹部が組織の解散を問われており、抹殺対象からそれとなくシフト。今作の基本構造が、 交通安全vs暴走行為、であると考えると、暴走行為から卒業して「社会の成員となる」というのは、 社会への帰属性を重視する『カーレンジャー』世界の中に収まったテーゼとはいえます。
遂に3幹部とカーレンジャーが直接対決か?! と盛り上がったのですが、アクションシーンはvsワンパーになってしまったのは、 肩すかし(^^; ……やはりゼルモダ以外は、見た目通りにアクションシーンするほど動けないのか。
久々登場の市太郎がそこを通りがかって、呑気にカーレンジャーそれぞれの活躍をスケッチし始めた頃、 ダップは〔酒樽座と赤い宇宙〕の情報に辿り着いていた。“100万年に一度”のその時、それは――……まさしく今、 地球時間1997年1月24日午後1時!
「ふっふふふふふふ、今こそ、正義の車伝説の星座を、余の体内に封印する」
その瞬間を待ち侘びていたエグゾスは、星座達が酔っ払ったとみるや、やたら怖い口のアップで、 クルマジックパワーの源である5つの星座を飲み込んでしまう。
お気楽戦隊と思われていた恭介達が地道な努力を続けてきた事が示されたエピソードで、 星を守る星座が100万年に一度の気の緩みでピンチを招く、という天と人の噛み合わなさは、どこか運命の皮肉を思わせます。
正義の車伝説の星座が封印された事でカーレンジャーは次々と変身が解けてしまい、 「ヒーロー」の仮面が外れて「一般市民」になる瞬間を、 “ヒーローの最も純粋な支援者である子供達”のシンボルとしての市太郎が目撃する、という視点の置き方は絶妙。 夢のヒーローが描かれたスケッチが滑り落ちる、というのも事態の深刻さと悲壮さを見事に盛り上げます。
「ど、どういう事だよ?!」
「チーキュの一般市民が、カーレンジャーに変身していたとは」
「うっそー」
再び変身しようとする5人だが、
「アクセルブレスが作動しない! カーレンジャーになれない!」
更にレンジャービークルもガス欠で機能停止、VRVロボも沈黙してしまう。
「突然クルマジックパワーが消えたみたいダップ!」
「カーレンジャー、いや元カーレンジャーの一般市民を、徹底的に、叩きのめせぇ!」
ガイナモは勢いを取り戻し、市太郎はシグナルマンの元へ。宇宙警察官は呑気に交番の前に立っており、ダップは、 シグナルマンにもクルマジックサイレンを提供した方が良かったのでは(^^;
「本日は地球は平和じゃないよ!」
「というと?」
「カーレンジャーの正体は、うちの父ちゃんが経営する、自動車会社ペガサスの、社員達だったんだ!
こんな時でも過剰説明が入り、本官と現場に急ぐ市太郎。
「これでカーレンジャーが敗れるのも、時間の問題。チーキュを花火にする事もたやすい。余の夢である、大宇宙ハイウェイ計画も、 もう間もなく完成する。ふはははははは、はははははは、あははははははははははは!!」
宇宙ではロマンの実現に会心の手応えを得たエグゾスが哄笑し、ボーゾックに追い詰められた恭介達には、 ワンパーの銃口が一斉に向けられる。凶暴さを剥き出しにしたガイナモの号令一下、情け容赦のない銃火が5人を包み込み、 カーレンジャーはこのまま5人揃ってかき氷を食いたくなってしまうのか?! 向こう側から色々と手招きが見えてくる、 クリスマス決戦編を超えるかつてないシリアスな引きで、つづく。
次回――心は、カーーーレンジャー!「道路で遊ぶのは、結構危ない「「「「「ダップー!」」」」」」。
- ◆第47話「当たって砕けろ!?決死の宇宙ドライブ」◆ (監督:渡辺勝也 脚本:浦沢義雄)
- ワンパーの一斉射撃から辛うじて逃れてペガサスへと逃げ込む恭介達だが、その背後に迫るボーゾック。 「一般市民」としての領域に悪の組織が侵入し、戦いの中で負傷した恭介のこぼした血が、ナンバープレートの上に飛び散る、 というのが好演出。
建築基準法違反の秘密基地まで突入してきたボーゾックは時限爆弾を仕掛けると撤収し、 宇宙暴走族としての本領を発揮するボーゾックの容赦ない追い込みにより、慌てふためく恭介達もろとも、カーレンジャー基地、大・爆・発。
最終回手前での秘密基地壊滅はよくあるイベントですが、ペガサス社屋は物凄い貰い事故(笑)
現場検証で時限爆弾のものらしきパーツとか、地球には存在しない金属の破片とか見つかっても、無事に保険金が降りるか心配です。
爆発跡に辿り着いた市太郎とシグナルマンは、血の跡が残るナンバープレートを発見。
「カーレンジャー! カーレンジャー!」
「本官の……本官の許可なく力尽きてはいかん!」
降りしきる雨の中、二人の叫びが空しく響き渡り……前回ラストからここまで、ぐっとシリアスに盛り上げてきます。
一方、意気揚々とガイナモたちが宇宙酒場に戻ると、何故かそこはゴミだらけ。
「今日からバリバリアンは、宇宙のゴミ捨て場となったのだ」
「な、なんだとぉっ?!」
「カーレンジャーが居なくなった今、もはやボーゾックに用はない」
手間の掛かる道具だったボーゾックを、さっくりと切り捨てるエグゾス。 ここで最後までボーゾックを懐柔してロマンのおこぼれを与える度量があれば、 東映ヒーロー物史上屈指の悪役としてミッションコンプリートに肉薄する可能性もあっただけに、 最後の詰めで酷薄さが勝ってしまったのが(それこそが、悪は悪の性質ゆえに負ける、という事であるのですが)、惜しまれます。
「俺たちを、ゴミと一緒にするなーーっ!」
「お前達はゴミだ」
事ここに至って口うるさいスポンサーに反抗するボーゾックであったが、一片の容赦もなく燃えるゴミにされてしまう。
「ゴミの再利用をしてやる。そのままチーキュに突っ込み、燃え上がる、炎のエネルギーでチーキュを、 花火にしてこい! ふはははははは」
エグゾスは巨大な火の玉と化したバリバリアンを地球目がけて突っ込ませ、洒落の掛かった台詞が、物凄くえぐいです。
迫り来る破滅の恐怖にまだ気付かぬ地球では雨が上がり、5人を探し続ける市太郎とシグナルマン。 市太郎が父の会社の社員達を慕っている描写は端々に存在していたので、5人を心配する市太郎が感情移入のフックとして巧く機能。 同時に、カーレンジャーを心配しつつ警官として緊急事態に対応できるシグナルマン、というのが良いバランス。
その本官が地下への通路を発見して二人で降りていくと、更にその地下から、VRVマスターに先導された恭介達が、無事な姿を見せる。
「それにしても、こんな酷い爆発でよく助かったなー!」
「正義は、よく、助かるもんだ」
いわゆる一つのご都合主義を、台詞にパッケージングしてしまう事で、さも世界の法則のように扱ってしまうという、 ズルいけど巧いけどズルいけど面白い(笑)
VRVマスターは、「こんなこともあろうかと」ダップの冬眠中に非常用の地下室を作っていたのだと説明する、安定のろくでなし。 登場タイミングを考えると、その地下室にこもって息子達の行動を監視していた江戸川乱歩の世界だと思われるのですが。
「我々は、暴走皇帝エグゾスの企みで、故郷を花火にされた、ハザード星の生き残りだ」
そして倒すべき敵は実行犯のボーゾックではなくそれを煽動したエグゾスであると、仇敵をさりげなくすり替え。この点に関しては、 生き残りであるマスターとダップがそれを認めるならば外野がくどくど言う事ではなくなりますが、 ボーゾックに対するダップの心情の変遷が描かれず仕舞いだったのは、残念。
VRVマスターはクルマジックパワー消失の原因について説明するが、そこへ迫り来る、行けアクシズ忌まわしい記憶とともに、 じゃなかった、巨大な燃えるゴミことバリバリアン。
「カーレンジャー、出動ダップ!」
いつもの調子で腕を振り上げるダップだが、5人の表情は暗い。
「カーレンジャーに変身できない俺たちに、どうやって戦えっていうんだ」
「恭介……」
「クルマジックパワーを失ったわたくし達は、ただの一般市民でございます」
「そうやん……勝てる見込み、ないやろ?」
「それに……正義の為に戦うなんて、あたし達には、向いてなかったのかも」
「もうダメだよ。後あたしに出来るのは泣くことぐらいしか無いみたい」
力を、基地を、職場を失い、ヒーローとしても一般市民としても絶望してしまう5人。
「勇気を失った者に、戦う資格は無い! チーキュは、本官が守ってみせる!」
ただ一人立ち上がった本官は核の冬を食い止めようとサイレンダーにバリバリアンで立ち向かい、 サイコフレームが内臓されていなかったので押し返す事はできなかったものの、衝突の速度を緩める事にはなんとか成功。 内部のボーゾック達も消火してから脱出し、結果として地球は花火になる事を回避する。
「なぜチーキュは花火にならん?! こうなれば、余が自らチーキュに行って、花火にしてくれる」
地球で成り行きから本官とボーゾックが激突する中、夢の実現まであと一歩となり居ても立ってもいられないエグゾスは、 とうとう自ら出馬。
そして動けぬ恭介達は、市太郎の視線から目を逸らしていた。
「そんな目で、俺たちを見るなよ」
ここに来て、素晴らしい負け犬モードです(笑)
「カーレンジャーはもういない。でも、僕の心にカーレンジャーは今も生きている」
そんな5人に向けて、市太郎はスケッチブックのイラストを広げてみせる。
「心に……「「「「カーレンジャー」」」」」
「その意味は、深そうで、重そうで、難しいダップ」
「心に、カーレンジャー……」
恭介達は銘々がこれまでの戦いを思い返し、5人それぞれ、自分が最高に格好良かった時という事か、 メイン回でのキレのいいアクションが回想に用いられており、改めて意外と肉弾戦の格好いいカーレンジャー。 そして温泉怪人のやられ様が、えっぐい。
「そうだ……俺たちはカーレンジャーに変身できなくても、心はカーレンジャーなんだ!」
「「「「うん」」」」
クリスマス決戦編において、カーレンジャーとは心の中の「一般市民」を失わない「ヒーロー」であると描かれましたが、 ならば裏を返せば、力なき「一般市民」の心の中にも、「ヒーロー」は存在しているのだと、くるっと着地。
夢の力、クルマジックパワーとは、自分の中の理想(ヒーロー)へアクセスする為の、“きっかけ”といえるのかもしれず、 シンボルとしてはカーレンジャーという姿を取りながらも、誰の心の中にもヒーローは存在しえると普遍的な形へ鮮やかな展開。
また、数奇な天の配剤によりクルマジックパワーを得た5人が、100万年に一度の星の巡りでその力を失った時、 自ら立ち上がる事で“運命を乗り越える”という要素が盛り込まれているのは、個人的に好み。
「「「「「心は、カーレンジャー……心は、カーレンジャー」」」」」」
5人は声を揃えて自己暗示を繰り返し、ぬはははは、脳内クルマジックパワーが、ハートに、溜まってきただろう!
多勢に無勢をものともせず、ボーゾックを相手に大立ち回りを繰り広げるシグナルマンの元へ、駆けつける5人。
「「「「「待て!」」」」」
「お! カーレンジャー!」
「お前達まだ生きていたのか?」
「俺たちは、カーレンジャーには変身できねぇけどな!」
それでも、心の中に「ヒーロー」が居る限り、「一般市民」だって、何度でも立ち上がれる――!
「「「「「戦う交通安全! 激走戦隊、心は、カーーーレンジャー!」」」」」5人が生身で揃い踏みポーズを決めたところに挿入歌のイントロが重ねられ、5人それぞれの決意の表情をズームアップで見せ、 親指をびしっと立てた決めポーズが、自分自身(の心)を指さしているようにも見えて絶妙にはまり、やたらな格好良さに。
また猿顔の一般市民さんは、正面から決め顔のアップに耐えられるのが、良いレッドだな、と改めて。
いっけん本家本元がヒーロー物を面白おかしくパロディしているように見えて、その実、 誰の心にもあるヒーローを否定しないという今作の姿勢がここに美しく結実しました。
とても好きなシーンです。
「心は、カーーーレンジャー、なんだそれ?」
「なんでもいい!」
脳内クルマジックパワーがガンギマリ気味で、少々ヤバい事にはなっていますが!
「シグナルマン! ここは俺たちに任せろ!」
5人は生身で突撃し、キムチ回で使われた挿入歌をバックに構成員軍団と激しく戦闘。
「あいつら……気持ちだけで戦っている」
先ほど、最高に格好いい表情を見せた恭介は構成員に締め上げられて今度は変顔を披露し、サービス満点です(笑)
だが心はカーレンジャーでも力は一般市民、5人+1は徐々に追い詰められてしまう。
「へへへへ、お遊びは、ここまでだ。俺たちボーゾックの、本当の力を見せてやる」
ラスト間際にして合体光線を放つボーゾック3幹部だが、それが何故か反射して自爆。 危機に陥ったカーレンジャーを助けたのはなんと、マジカルプリンセスゾンネット。
「ゾンネットー!」
「あなた方は、戦う相手を、間違えています」
ゾンネットに諭されたガイナモは、エグゾスに燃えるゴミ扱いされていた事を思い出す。……というか、忘れていたのか(笑)
「そうだ、俺たちボーゾックの真の敵は、エグゾスだ!」
「エグゾスだ!」「エグゾスだ!」
おい(笑)
「えー……心は、カーーレンジャーの皆さん、及びシグナルマンさん、突然の事で、驚きでしょうが、今日から、君たちとは、お友達です」
「昨日の敵は、今日の友達。そこんとこよろしく」
「嘘だろ……」
つい30秒ほど前まで皆殺し寸前だった状況からの急展開にさすがの5人+1も茫然自失。
「カーレンジャー! 気持ちはわかるけど、ボーゾックと手を組んで、エグゾスを倒して」
巨悪を前に一致団結、というのはある種の定番も、ボーゾックの豹変ぶりはカーレンジャーならずとも呆然としますが、 とにかく頭が悪い、という力技で押し通す電車道。また、第45話で一抜けしたゾンネットがそのまま卒業してしまうのではなく、 ここで両者の橋渡しになる、というのは位置づけが巧く収まり、感情面での納得しづらさを、構成の美で押し切りにかかります(^^;
「ね、お願い!」
そして最後の一押しは、ゾンネットから恭介への頬に口づけ。
「うぉぉぉぉぉ! よっしゃぁ! みんなで協力して、エグゾスを倒すんだぁ!!」
おい(笑)
カーレンジャーのリーダーが完全に女の色香に狂っていますが、ボーゾックが地球にやってきた原因もゾンネットですし、 最初から最後まで、ゾンネットが男達の鼻面を握って振り回す物語だと考えると、一貫性はあります(笑)
「おいちょっと、待て待て!」
一応ツッコむ実えらい。
「俺たちがエグゾスを倒し、この手でクルマジックパワーを取り戻さなくてはいけないんだ!」
恭介達はバリバリアンを使ってエグゾスへ特攻を仕掛ける事を決意し、成り行きの中で恭介がガイナモの顔面にパンチを入れるのが、 地球代表として、けじめになっているといえば、なっているのか。
……カーレンジャーも専守防衛とはいえ次々とボーゾック怪人を抹殺してきたわけで、ある意味では、 本気で殺し合いをしていたからこそ、和平が成立する、とはいえるのかも(^^;
スーパーメカニック菜摘により再起動したバリバリアンは5人を乗せて大気圏を離脱し、一方、 エグゾスは哄笑しながら地球に迫っていた、でつづく。
……酷いサブタイトル詐欺だ(笑)
クリスマス編を踏まえた上で、激走戦隊カーレンジャーとは如何なるヒーローなのかが完成を見せ、 そこから誰の心の中にもヒーローが居る、と広げてきたのは今作の着地点としてお見事。
また、公僕ヒーローであるシグナルマンが、土壇場で「勇気を失った者に、戦う資格は無い!」と、法や家族を守るのとは別の、 シグナルマン個人の気持ちを見せた上で、雑に扱われずにしっかりとした見せ場があったのも良かったです。
次回――最終回、「「「「「カーレンジャーが終わっても、交通ルールを守ろうね!」」」」」。
- ◆第48話「いつまでも交通安全!!」◆ (監督:渡辺勝也 脚本:浦沢義雄)
- 「チーキュを花火にして、余の夢である悪の大宇宙ハイウェイ計画を、完成させてみせる」
遂に自らその手を下さんとする暴走皇帝エグゾスの土手っ腹に、地球からのカウンターで突き刺さるバリバリアン大爆発! にサブタイトルがかかってスタート。
「心はカーレンジャーが、命を懸けて、チーキュを守ったのか……」
いい話にまとめつつ良くも悪くも単純なので涙にくれるボーゾックだったが、そこに墜落してきたバリバリアンから、 カーレンジャー復活。
「「「「「戦う交通安全、激走戦隊・カーーーレンジャー!」」」」」
エグゾスの土手っ腹に風穴を開ける事で、5人は見事に、封印されていたクルマジックパワーを解放したのであった!
「俺たちはエグゾスに勝ったんだ!」
だがその時……
「そう簡単にこの暴走皇帝エグゾスがやられると思っていたのか!! 愚か者ども!!」
紅い稲妻が虚空に迸り、ローブを脱いだ巨大なエグゾスが地表に姿を見せる!
「暴走皇帝エグゾス……なんてやつだ!」
「全宇宙に散らばる邪悪なパワーを結集させ、余は、エグゾススーパーストロングとして、甦った!」
あ、一度死んだ事は死んだんだ(笑)
エグゾススーパーストロングはローブを脱ぎ捨てた事で、悪あがきではない恐るべき暴走皇帝の脅威、 という印象が強くなったのは良かったところ。また、どちらかというと文系イメージだったエグゾスが、 決戦においてモデルチェンジを見せる、というのが純粋に格好良くなりました。
「よーし、今度こそ俺の見せ場だ」
総長の気合いを見せたガイナモは自ら芋羊羹を食べて巨大化……するが、あっという間に腹痛を起こして元の大きさに戻ってしまう。 グラッチの手元にあった芋長の芋羊羹は、昨年末に賞味期限切れしていたのだ!
「あー……やっぱり俺たちの出番だ、行くぞ!」
ガイナモを思い切り蹴り飛ばすゾンネットにちょっぴり動揺しつつ、VRVロボ出動。皆の声援を受けながらエグゾスSSと戦うが、 エグゾスSSに必殺Vツイスターを反射され、暴走サーベルの一撃により土手っ腹に風穴を開け返されてしまう。かくなる上はとレッドは玉砕を提案し、 逃げ出そうとするメンバー。
「待ってくれ! みんな、最後まで、最後まで、リーダーの俺を信じてくれ! エグゾスを倒せるのは、宇宙の平和を守れるのは、 俺たちだけなんだ! ……どんな嵐の日でも、雲の向こうで、いつも太陽は、青い空に輝いているんだ」
必殺《俺は既にいい事を言った! このカーーーーー(びしっ)レッドが!》
「そやな……そやな! 俺たちはカーレンジャーや! リーダーのおまえを信じてやらなあかんわな!」
「やる時はやらなきゃね!」
「うん、最後の最後まで、諦めてはいけないのでございますね!」
「よーし、こうなったら、行くわよみんな!」
4人の反応にOPイントロを被せ、歌の入りと共に、満身創痍のVRVロボ、突撃。
きらり きらら 星が 導く運命なら
あんな こんな どんな ピンチもくじけない
バルル ビルル ブルル たまにビビルけど
愛があれば大丈夫
「悪あがきしても無駄だぁ」
「まだまだぁ!!」
ボーイ 気取ってばかり いたってダメだよ
自分にもある 弱さを知れば ほんとのヒーロー
(レッツゴー!)
「みんな……!」
「カーレンジャー!」
「カーレンジャー、頑張れぇー!」
かつての敵味方を乗り越えた声援を受け、暴走光線をものともせずに迫り来る死兵に動揺するエグゾスSSにがっちり組み付いたVRVロボは盛大に自爆し、 5人はダップの呼んだレンジャービークルに飛び移って脱出。
「やったか?!」
だが、爆炎が晴れるとエグゾスSS未だ健在、でアイキャッチなしでBパートへ突入。
「ふははは、言った筈だ。このエグゾスは簡単にはやられんと」
豊富な資金・事細かなマネジメント・まめな作戦計画、と個人的にロマン系悪役としてかなり気に入ったエグゾスですが、 最終回にして戦闘力の面でも脅威的な力を見せつけ、更なる評価アップ。
前半の“ギャグの中に怖さを秘めている”ボーゾックもですが、今作は縦横無尽にギャグを張り巡らせながらも、 “脅威となる悪”の描写は一貫してしっかりしているのが、作品全体を引き締めた大きな要因だと思います。
レンジャービークルをそのままRVロボに合体させたカーレンジャーは、超激走スピンで再びエグゾスSSの土手っ腹に風穴を開けるが、 それもまた、再生されてしまう。
「何をやっても無駄だ。全宇宙の邪悪なパワーを結集させて、甦った余には、クルマジックパワーなど効かぬ。余は無敵なのだ。 あーはははははは、はははは!!」
圧倒的邪悪のパワーの前にRVロボも倒れ、絶望と共に地球が花火と化すかと思われたその時――
「いったいどうすりゃいいんだ……あー、そうだ!!」
突然何かを閃いたガイナモがグラッチから芋羊羹を奪うと、RVロボにトドメを刺そうとするエグゾスの口の中に、 会心の遠投で芋羊羹を放り込む!
ごっくん。
「腹が、腹がぁぁぁぁぁぁ!!」
おい(笑)
前回を超える呆然を用意しなくてはならない、という職人魂を感じる、まさかの芋長の芋羊羹がクリティカルヒット!!
ここでエグゾスに向けてダッシュするガイナモの姿は、やたら格好良かったですが(笑)
エグゾスSSが苦しんでいる間にカーレンジャーは半壊したRVロボから脱出し、 弱体化したエグゾスはローブ姿で人間大の大きさに戻ってしまう。
「全宇宙の邪悪なパワーを結集して甦った最強のラスボスが、賞味期限切れの芋羊羹を食べた事で腹痛を起こして弱る 」と文字情報にするとふざけているとしか思えないのですが、「侵略者に悪用され続けてきた芋羊羹が、 最後の最後で真の巨悪への正義の鉄槌となる」と考えると、物語世界での一貫性は取れている気がする『カーレン』マジック(笑)
ブログ連載時にタイキさんから、「(第39話において)今回扱われた菜摘のスパナって実はボーゾックの芋羊羹と対比になってるんですよね」 「力それ自体に善悪があるのではなく力の使い手の意思次第で善悪が決まる、という意味での善悪の相対化もあるのではないか?と思いました。」 という成る程と思うコメントをいただきましたが、夢の力であるクルマジックパワーで戦うヒーローの最後の敵が、 自分の夢に執着する存在であった事を考えると、最後の最後で、「道具」がその意味を逆転する(エグゾスは力を失い、 小型化してしてまう)というのも、侮りがたい『カーレンジャー』としての一貫性を感じます。
作劇としては、突発的に転向したボーゾックがラスボスの撃破に一役買う事で印象をプラスに近付けようとしているのですが、 その行動が自己犠牲などではなく、芋羊羹の投擲、という腰砕け(なのにクリティカル)ぶりが、もう仕方がない、 と思わせるのが今作の徹底したバランスといえます。好き嫌いも納得できるかも当然分かれるでしょうが、徹底しているのが凄い。
「おのれぇ……悪の大宇宙ハイウェイを完成させるまでは、なんとしても、生き続けてやるぅぅ」
「今度こそ最後だ!」
……強大な力を持った極悪人とはいえ、腹痛に苦しむマントの紳士を袋だたきにするという、いわくいいがたい構図になっていますが(笑) ……まあ、「死ねーーー!!」とか言いながらビーム撃ってくるので正当防衛です。
「宇宙の平和は! 俺たち!」
「「「「「カーレンジャーが守る!!」」」」」
暴走ビームをくぐり抜けたカーレンジャーは、最後にギガブースター……という事は無く、 合体突撃技・カーレンジャークルマジックアタック! でフィニッシュ。
(正確さは保証できませんが、過去の感想を確認した限り、ギガブースターの使用は第35話が最後?(^^;)
「悪の大宇宙ハイウェイ計画がーーー!!」
モザイクのかかったエグゾスは宇宙空間へと吹き飛ばされ、その崩壊とともに悪の大宇宙ハイウェイも消滅。 既に肉体を失って邪悪なエネルギー生命体となっていた所に、膨大な正義のクルマジックパワーを叩き込まれて、存在を保てなくなった、 というところでしょうか。
終盤からの登場ですが、台詞回しのインパクトに頭脳もともない、非常に良い悪役でした。いくら構成の妙で誤魔化そうとしても、 エグゾスが納得できる悪の黒幕でなければ事の元凶としての責任の付け替えが成立しなかったので、 そういう点でも良く出来たラスボスであったと思います。
「――こうして、宇宙の平和は、守られた」恭介のモノローグが入って時間は飛んで、ボーゾックも交えて宇宙の平和を守った祝賀パーティが開かれ、一同は和気藹々。結局、 ダップがボーゾックにどう向き合うのか、はしっかり描かれずになし崩しになってしまったのは残念でしたが、 作風として重くなりすぎるという判断でしょうか。
復讐者としての戦士の狂気から、恭介達との交流を通じて救済されたダップが、テロの連鎖を断ち切る決断をする、 というのは着地としては納得できない事はないので、過程が省略されたのが惜しい。
ちなみに今作のちょうど10年前の『超新星フラッシュマン』において、 ダップと近い境遇にあった戦隊メンバーがテロの連鎖を乗り越えるというエピソードが描かれており(脚本:曽田博久)、 脚本会議において曽田さんからそういうアイデアが出たなんて事もあったのかもなーなどと勝手な妄想を広げると、 個人的になんとなく納得しやすさが上がる所なのです(高寺さんが把握していたという可能性もありそうですし)。
「その後、シグナルマンはポリス星へ帰り、警部補昇級試験目指して、猛勉強しているらしい」
シグエとシグタロウもちらっと登場。
「ガイナモは、ボーゾックを解散して地球に残り、焼き肉店に就職した」
総長、無事、真人間に(笑)
ギリギリまで凶悪さを見せつつも、最終的にはころっと転向してしまったガイナモですが、結局のところ、 ゾンネットに出会ってしまった時点で骨抜きにされていたのだなぁ……と、げに恐ろしきは、ゾンネット粒子。
「ゼルモダとグラッチは学問に目覚め、義務教育をやり直す為に、小学校に入った」
激しく胴体着陸気味だったボーゾックの始末ですが、“自分たちの行動の結果、 起こりうる他者の痛みを想像できない悪”であったボーゾックが、どうすれば想像力を持てるのか、 という時にその手段は「教育」ではないのか、というのは納得できる着地。
散々、夏休みに勉強ばかりしてしちゃいけないんだーーーーー!! と主張していた作品が最後に、 “遊び”から育まれる想像力も大事だが、“学び”から育まれる想像力もある、と収めてきたのは面白い所でもあります。
「その他のボーゾック達は、芸能プロダクションを作り、本格的ミュージカルスターを目指した」
なぜ(笑)
「ゾンネットは……ファンベル星で毎日見合いをしているそうだ」
「こんな馬面嫌い!」
「お姉ちゃーん」
「豚鼻も嫌!」
「お姉ちゃん! もーーー!」
「はぁ……私の好みは――」
一人になって開いたロケットの中の写真は……
「そして、ダップとVRVマスターは……」
「どうだ、広い宇宙を、あてもなく旅する気分は」
ヘルメットを外したVRVマスターがダップ父と明確になり、“あてもない”のが、最後まで見事にろくでなし。 このお父さんにダップの養育を任せていいのか、大変不安になるので、ダップもチーキュの小学校に入った方が良いのでは。
「宇宙には、この穏やかな平和が、よく似合う」
「ねえパパ今度地球に戻るのはいつダップー? もう宇宙旅行は飽きちゃったダップ。ねえパパ、早くまた恭介達と遊びたいダップー」
ダップはもう放浪の旅に飽きつつも、父親に駄々をこねるのも楽しそう、とほのぼのオチ。……ろくでなしの影響で、 風来坊キャラとかに目覚めてしまわない事を祈ります。
「そして、俺たちカーレンジャーは……」
無事に再建されたペガサス社屋にて、前を向く5人。
「さ、そろそろ仕事でも始めっかな!」
からOP一番に合わせてメンバーそれぞれの姿をOPのアレンジで描き、
「よし、この車を夢の車に改造しようぜっ」
と相も変わらず楽しげな日々に、画面手前できらりと光るアクセルブレス、一般市民の会社員として夢を追いながら、いつだって、 誰だって、心の中にはカーーーレンジャー!が居る、と最後はヘルメット脱ぎの5人が笑顔で、エンド。
……浦沢脚本とはあまり相性が良くないので、評判は聞きつつも、おっかなびっくり見始めたのですが、 前半幾つか噛み合わない部分は感じたものの、中盤ぐらいに作品としてのまとまりが良くなってきてからは、 非常に楽しく見る事が出来ました。
浦沢作品、というくくりで語られる事が多い今作ですが、高寺プロデューサーの時に粘着質なこだわりと暴走を孕んだ血気、 戦隊シリーズのツボを心得た曽田博久と荒川稔久というサブライター、積極果敢な役者陣の熱意、などなど、 様々なものが絶妙に絡み合って生まれた物語なのだな、と改めて。
ローテには様々な要因が絡みますが、ラスト3話を担当したのが、長石多可男監督の薫陶を受け、 『恐竜戦隊ジュウレンジャー』で監督デビュー、80年代〜90年代前半の戦隊シリーズのエッセンスで育ってきた渡辺勝也監督 (前年にはメタルヒーローに出張していますが)だったというのは、戦隊×浦沢ワールドの混ぜるな危険的混合物だった今作が、 ラスト2話においてド王道の燃え演出にゾンネット粒子と芋羊羹がカオスに混じり合う夢のカクテルとして着地したという面で、 面白い所です。
役者陣の様々なアプローチが行われていた、という裏話を聞くと、渡辺監督、田崎監督、今作でデビューとなった竹本監督、 と比較的若い世代の監督と相性が良かったのかな、とも思うところ(ちなみに竹本監督デビュー後にチーフ助監督に名前が出ているのが、 近年のエース格といっていい中澤祥次郎監督)。
全体の難点としてはやはり、ボーゾックからエグゾスへという諸悪の根源のすり替えですが、 話の構成としてはかなり巧く誤魔化していたものの、
ボーゾックの「悪」――自分たちの行動の結果、起こりうる他者の痛みを考えられない想像力の欠如――
エグゾスの「悪」――自分の目的の為に、他者を平然と踏みにじる独善性――
と、二つの「悪」が違う種類のものなので、カーレンジャーが前半対峙していた、 ボーゾック的な「悪」との決着が付かず仕舞いだったのは残念。ラストのラストで、 ボーゾック的な「悪」をただせる可能性を持った要素として「教育」をねじ込んできましたが、やはりカーレンジャーとして、 そこに向き合って欲しかったところです。
ゾンネットとのラブコメ展開に加え、ボーゾック全体に愛嬌を付けすぎた為、 壊滅させても特にカタルシスが生まれないという判断はわかる所ですが、カーレンジャー側のテーゼが巧くまとまった分、 悪玉サイドが持っていたテーゼが途中で曖昧になってしまったのは、惜しまれる点。
“お笑い集団でバカだからこその恐ろしさ”というのは、ボーゾックならではの希有なテーゼで、 なかなか再現しにくい所でありますし……後年の戦隊で考えると、蛮鬼族(『炎神戦隊ゴーオンジャー』)と外道衆 (『侍戦隊シンケンジャー』)が、ボーゾック的なテーゼを部分的に取り込んでいる面があるかな、と思われるところ (そして改めて『ゴーオンジャー』の凄さよ)。
そういった大きな問題点を抱えつつも、目を逸らすのではなく軟着陸させる為の技巧を凝らし、 その上で一貫した作風に騙されてもいいかな、という面白さを作り上げたのは、お見事でした。
だいぶ長くなってきたので、とりあえずここまで。後は書き残しや思いつきがあれば、補足か総括で書きたいと思います。
以上、『激走戦隊カーレンジャー』感想でした。
(2019年9月18日)
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