■『烈車戦隊トッキュウジャー』感想まとめ8■
“乗り込め! 俺達のエクスプレス
誰も止められない速さで
まだまだ 加速してえがく夢は そうさ 無限大!”
ブログ「ものかきの繰り言」の方に連載していた『烈車戦隊トッキュウジャー』
感想の、まとめ8(43〜最終話)です。文体の統一や、誤字脱字の修正など、若干の改稿をしています。
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〔まとめ4〕
〔まとめ5〕 ・ 〔まとめ6〕 ・ 〔まとめ7〕
・ 〔劇場版〕
- ◆第43駅「開かない扉」◆ (監督:加藤弘之 脚本:小林靖子)
-
「また、我々にまで、剣を向けられるような事は」
ネロ男爵、遂に気付く。
そこには、気付かないで欲しかった……。
そんなわけで、前回フルアーマー陛下ZZにずばっと斬られたネロ男爵とモルク侯爵が玉座へ向かうと、
衣装の重くなった陛下は床にどかっと座っていた。
「ネロ。また吹っ飛ばされたくねえなら、黙ってろ」
威嚇されたーーー。
ゼットが手に入らないキラキラを求めるのは何故か? 推論のあるモルク侯爵は、その確認の為に、ドールハウスシャドーを放ち、
4号と5号がその能力でドールハウスの中に吸い込まれてしまう。ドールハウスシャドーは、
閉じ込めた2人ごとドールハウスを燃やしてしまうと予告。残った4人は、急ぎ指定された場所へ向かう事に。
「もしカグラとヒカリに何かあったら――絶対に許さない」
怒りで目の据わっているライトの様子に、違和感を覚える明。……見た目、熱出した時と演技が同じなのがちょっと困りますが(笑)
実は、シャドーラインが地上に侵攻した手始めに呑み込んだ街が昴ヶ浜であった。そしてその中に、
トッキュウジャーとなる5人の子供が居た。皇帝がまだ深い闇の中にあった時の出来事は、果たしてどんな意味を持つのか……。
幹部達の言動などを素直に受け止めるとシャドーライン自体はかなり以前から存在していると思われるのですが、
「はじめての地上侵攻」が昴ヶ浜だったらしく、それまでは地下に鉄道王国を築いていたのか?
シャドーラインとレインボーラインの関係は話がここまで進んでも謎だらけなのですが、
果たして残り話数で物語の核心に組み込まれるのかどうか。
概念的な、永劫に闘争し続ける“光”と“闇”みたいな感じも強いですけど。
4人が立ちふさがるクローズ達を蹴散らし突き進んでいる頃、ヒカリとカグラの入ったドールハウスは炎に包まれつつあった。
ドールハウスシャドーがハウスを揺さぶった際に窓の隙間から飛び出したカグラの靴が、
元通りの大きさで地面に転がっているのに気付いたヒカリは一か八かの脱出策を閃き、ありったけの剣玉の替え紐を結び合わせて一本に繋ぐ。
「こんな所で終わるわけにはいかないだろ。絶対、脱出する。俺たちの街へ、帰る為にもね」
その言葉に止まるカグラの手。
「どうかした? 今日ちょっとおかしかったけど」
「夢……見ちゃった。パパ達に、あたし、ってわかってもらえなくて……家に、入れなかった。わかってた事なのに、
夢でもそうなってみると、凄く……帰るの、怖くなっちゃった」
アバンタイトルに置かれたカグラの夢は、家に帰ったカグラが両親からキ○ガイ扱いを受けて叩き出されるという、
今作における“喪失”を真っ正面から割と尺を取って描き、なかなかえぐいシーン。
「大丈夫、って、言った方がいいんだろうけど……」
「ううん、そんなの、誰にもわからないもん」
いよいよ炎が燃え広がり、タイムリミットが迫る中、ヒカリは、出来る限り長くした紐を玉に結びつけた剣玉を構える。
「カグラ……前に言ってたよね。この剣玉、大事な人に貰ったのかも、って。……当たってる。俺のお祖母ちゃんがくれたんだ」
それは、母親が仕事で帰りが遅く、ライト達と会うまでほとんど友達もいなかったヒカリに祖母がくれたプレゼントだった。
「俺はずっと、苦労してるお祖母ちゃんと、優しいけどちょっと頼りない母さんを、守りたい、って思ってた」
――強くなりたい 野々村洸
「だから俺には、大人になるのは悪い事だけじゃない。俺の事、わかってもらえなくったって。
――母さん達を守れるから」
例え自分がそこから「喪失」するとしても、今、「喪失」している家族の時間を取り戻す為に――。
この“喪失”というのは小林靖子が好んで取り扱う要素の一つですが、一つの「喪失」を先に置いておく事で、
未来に待ち受けるかもしれない「喪失」と天秤ばかりに乗せてバランスを取るという、巧いけどエグい構造。エグいけど巧い。
「カグラ、俺にしっかり掴まれ。チャンスは一瞬しかない。……カグラ?」
「……私も……私もそうする。パパと、ママとダイキを、私が守る!」
イマジネーションの産物=“子供のごっこ遊びの延長線上のヒーロー”として走り出したトッキュウジャーが、記憶の回復を経て、
自分達の子供時代の喪失の可能性を知る。
その上で彼等は、大人になってしまった自分達がやるべき事として、
子供時代の自分に胸を張れる、良い大人(=ヒーロー)になろうぜ
という道を選ぶ。
32話と続く33話で主に描かれたテーマの補強なのですが、今作の背骨になっているのは、
子供にとっての地続きな世界で身近なヒーローって誰だろう?
それは“良き大人”ではないか(そうあるべき、というのも含め)。
という、ヒーローの日常への着地なのだな、と。
ライトの祖父、トカッチの兄、ミオの父……それぞれがそれぞれのヒーローで、5人はその後を追いかけていく。
そして5人は彼等に、そしてかつての自分達に、恥じないヒーローであろうとする。
物語の構造そのものが、受け手に向けたメッセージになっている。
決して派手では無いですがヒーロー論の一つの形として、素晴らしい構成だと思います。
正しく『トッキュウジャー』は、誰だってヒーローになれる、という物語。
そしてこの構造ゆえに、そもそもの始まりが“ごっこ遊びの延長線上が意識されたヒーロー”という事が、大きな意味を持ち、
“ヒーローを夢見る子供達が、現実にヒーローになれる物語”として完成しています。
素晴らしい。
展開の都合でちょっと、夢の中のイメージとはいえ、カグラの両親だけ扱い悪くなりましたが(^^;
(両親はレストラン?やっているみたいなので、カグラのパティシエ回を拾った形で憧れの存在として繋がっているという解釈はしていいと思いますが)
指定された場所に辿り着く4人だったが、その目の前で焼け落ちて灰になるドールハウス。その光景に膝をつく1号の体から、
沸き上がる闇のオーラ……?
だがその時、姿を見せる4号と5号。ドールハウスが燃え尽きる寸前、ヒカリが窓の隙間から剣玉を飛ばし、
外に出るにつれて元の大きさに戻っていく剣玉に引っ張られる形で、2人は童瑠匍州火炎地獄からの脱出を果たしたのであった。
意外と素早い動きのドールハウスシャドーだったが、5号との連携から4号が派手な飛び蹴りを浴びせ、
倒れた所をハイパー1号がダイカイテン砲で撃破。
巨大化したドールハウスシャドーは超超トッキュウダイオーをドールハウスの中に引きずり込もうとするが、
自身も一緒に引きずり込まれてしまい、同じ大きさでのドールハウス内での戦いに持ち込まれて、ジ・エンド。
どだい着ぐるみロボットは、中に人が入っているのをセットや光源、カメラ割りなどで巨大に見せているわけで、
室内セットに入れてしまうのは掟破りかつ危ない手法なのですが、セットをドールハウスの内部(洋館の中)というやや非現実寄りの空間にした事で、
破綻しない範囲で収めました。あと、超超トッキュウダイオーがキャタピラ移動(歩かない)、というのも活きた。
そして――この戦いの様子を見つめていたモルクとゼットは、一つの結論に達する。
「間違いありませんな。陛下がキラキラに引き寄せられる原因は……トッキュウ1号」
次回、そういえばなってなかった6号ハイパー化。
そしてグリッタ再登場、ライトの身に迫る闇、と激動の予感。
初期から可能性の一つとしてあった、光のライト/闇のライト、的なものだとお約束に過ぎる感じですが、さて、
ここからどうまとめてくるか。今作の背骨のテーマについては今回である程度やりきった感はあるので、
後は「乗り換え」なども含めて散りばめた要素がどこまで綺麗に繋がってどう着地するかですが、正直未だに、期待半分、
不安半分ではあります(^^;(シャドーラインについてあまりにも語られていないので) ただ、全て綺麗に繋がれば、
大傑作になると思うので、期待を込めて楽しみにしたい。
- ◆第44駅「昴ヶ浜へ」◆ (監督:渡辺勝也 脚本:小林靖子)
-
注目は、
「あの人からの連絡で、いいニュースだった事ないでしょ」
と、総裁を疫病神扱いするヒカリさん。
……あまり、間違っていない。
総裁からの呼び出しを受けターミナルへ向かったトッキュウジャーは、ライトの体にゼットと同質の闇が染みついている事を知る。
果たしてそれは何故なのか? 一方、モルクもまた、皇帝がキラキラを求めるようになった理由について考えていた……と、
かなり尺を回想シーンに取って、こんな伏線がありました、と示しつつ進行。
そこへグリッタが現れ、トッキュウジャーへの協力を申し出る。
シュバルツのクライナーがあれば、キャッスルターミナルへの線路に張られた闇の結界を突き破る事が可能であり、
昴ヶ浜へ辿り着く事が出来る。そしてグリッタは、これ以上“誰も消さない”為に、キャッスルターミナルを移動させ、
闇の底深くへ沈めるという作戦を提案。ライトを縛り付けた5人は、グリッタと共にキャッスルターミナルへと向かう――!
そろそろ出番終了という事でか、烈車の動きが丹念に描かれ、特にハイパーターミナルからの出撃シーンは格好良くなりました。
突入した所で巨大な城の門番が迎撃に現れ、残った6号がハイパー化してビルドダイオーで立ち向かう辺りなど、映画っぽい絵作りと展開。
4人はグリッタを守りながら、クローズを撃破していくが、そこへいつの間にやらロープをほどいて烈車に乗り込んでいたライトが闖入。
ライトは秘密基地を見つめるゼットの元へと走り、2人は対面。あの日――昴ヶ浜が闇に呑み込まれた時の記憶が、互いにかすかに甦る。
やはり、ゼットが見たキラキラはライトであり、ライトが触れた闇はゼットなのか?
その場で変身するライトだが、何故かその体は闇に包まれ、黒ラメ1号に。
果たして光と闇の真実や如何に。そして、ライトはどうなってしまうのか?!
謎解き編、にして一気に最終決戦に。ただ、シャドーライン側があまり段取りを踏んでいない組織なので世界がピンチ的な盛り上がりは弱く、
あくまでライトとゼットの謎解きが中心な為に、その前振りで終わってしまってエピソードとしては消化不良。
前回の予告で見せていた暗黒1号が出てきた所で終わってしまいましたし(^^;
このまま、2人の関係に物語を集約してしまうとあまりに風呂敷が小さい気がしますが、さて、ここから何をどう繋げて、
劇的な盛り上がりに持って行くのか、注目。
- ◆第45駅「君が去ったホーム」◆ (監督:渡辺勝也 脚本:小林靖子)
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最初に断っておくと、少々テンションが低いです(^^; いや、単独のエピソードとして見れば別に悪い出来ではないのですが、
私の今作クライマックスへの期待値が高すぎて。
キャッスルターミナルの移動により、解放される昴ヶ浜。闇の力を噴出し、皇帝ゼットと渡り合う暗黒1号。夜が明けた事でゼット、
モルク、ネロは一時撤退し、気絶したライトは烈車へと運び込まれる。
「単刀直入に言えば、ライトは、ゼットだ。簡単に言えば、ゼットはライトだ」
総裁が導き出した推論は、昴ヶ浜が闇に呑み込まれた日にライトとゼットが接触した事により、
ライトはゼットの闇と一緒に大人になってしまったという事。そしてこれまでの戦いにより、ライトと共にその中の闇も成長、
更にゼットの闇と共鳴した結果、とうとう暗黒1号が誕生してしまったのであった。
一方、ゼットもまた、ライトの持つ強力なイマジネーションに触れてしまい、それをキラキラとして求めるようになり、
両者は互いに相容れない物を抱えながら影響しあっていたのである。
結局ここは、あまりひねらずストレートに。ライトが第1話でいきなりシャドーラインの中で寝ていたのは、闇の力の影響の為だった、
と仕込みが繋がりました。
「私には……陛下が、ただお気の毒だとしか……」
キャッスルターミナルを深い闇の中に沈めようとしたグリッタだがゼットに阻まれ、ゼットは遂にキャッスルターミナルを地上へと浮上させる。
「俺は最初から……闇でしかねえ」
ライトはトカッチ達4人のレインボーパスを受け取ると、4人を置き去りにしてレインボーラインへと乗り込む。
「お前達だけでも…………戻ってほしいんだ。あの、秘密基地の頃に。俺はもう……戻れないから」
4人が子供に戻る方法――それは、レインボーラインを降り、トッキュウジャーとしての記憶を無くす事。
4人のパスはワゴンの手によってストーブで燃やされ、4人は子供に戻るとそれぞれの家へと帰る……ライトの事を忘れ去って。
そういえばここまで無かった気がしましたが、烈車戦隊として、ホームでの別離シーンをクライマックスに入れてきました。
4人が無事に家に戻れるか、明に見届けを頼んだライトは、その後で合流するという約束を破ると、
独りでキャッスルターミナルへと突撃する。
(母さん……みんな、ごめん。絶対に戻るって、手紙に書いたのに。その代わり、二度と闇なんか近づかせない。絶対だ)
単身でクローズ大軍団に挑むライト。
(ごめんな明。負けない。シャドーにも闇にも、絶対に負けないから! でも……なんで勝利のイマジネーションが見えないんだろ……なんで)
そして皇帝ゼットは、全てを、闇で塗りつぶそうとしていた……。
(ライト……てめえを潰して、地上のキラキラも全部潰す。世界は真っ暗で丁度いい)
クローズ軍団を吹き飛ばす暗黒一号は、皇帝ゼットを打ち破る事が出来るのか。最後の戦い、迫る。
うーーーーーーーん……個人的に小林靖子を高く評価している点として、「劇中でのルールの制定」と、
「そのルールの内部でのカタルシス作り」というのがあるのですが、ライトがもう戻れないという闇の影響の断定、
4人はパスを燃やせば子供に戻れる、という重要な部分が、今ひとつ、物語と連動しきりませんでした。
一応、第32話において「闇の影響で大人になりすぎると子供に戻れない」、という提示はされているのですが、そこから、
「4人はまだ闇の影響が少ないから記憶を消せば戻れる」というのが、飛躍しすぎました。
またこの展開だと、元々の子供に戻る条件が「トッキュウジャーとしての記憶を消す」事だったのか、闇の影響が強くなったから
「消さないと戻れなくなった」かの判断がつきません。
前者の場合、5人の行動目標が「昴ヶ浜の解放」だったのに対し、5人が子供に戻る設定条件が別に存在していた、
という事になり総裁ますます外道になるわけな上に、多分こちらが正解の気がするのですけど、
その辺りの条件は事前に提示してクリアにしておくべきだったと思います。
合わせて、今作において闇がずっと曖昧な扱いだった為に、
「闇の影響」というのが非常にふわふわとしてしまいました。その辺りを「シャドーラインとは何か」
という点と一緒に踏み込んでくれると思っていたのですが、この期に及んで全然触れてくれないのが、肩すかし気味(故に、
キャッスルターミナルが浮上しても、盛り上がりが足りない)。
あと多分2話?あるので、まだここから、そこへ踏み込んでくる可能性はありますが、出来ればその辺りは繋げてほしいなぁ。
闇の皇帝・ゼットという哀しいラスボスの造形は凄く好きなんですが、逆にゼットが哀愁漂いすぎて、
哀しいヒーローとしてのトッキュウ1号を食ってしまっている所もあり(笑)
演出からするとグリッタは死んでない感じですし、明が(恐らくライトに頼まれて)秘密基地で何かしていったぽいというのも気になり、
その辺りが最後を盛り上げてくれる事に期待したい。大傑作が見たい。
- ◆第46駅「最後の行き先」◆ (監督:竹本昇 脚本:小林靖子)
-
うーーーん…………決して破綻しているわけではないのですが、最終章手前までがすべからく個人的なツボにはまりまくりだったのに対し、
ピントがずれてしまったなぁ。そういう可能性は覚悟していたし、あくまで個人的な趣味に合致するかどうかという話ではあるのですが、
残念。
確かに前半から因縁づけて絡めてはいたのですが、今作は「ライトとゼット」の話だったのか???
という所でどうも最終列車に乗り損ねた感じ(^^;
そしてライトと陛下の話にしては、陛下の背景がぼんやりしすぎだと思います。途中でライトの闇への言及や、ラストの、
全て真っ黒な闇の世界の描写とか良かったのですが、これなら、闇の中に居る陛下の内面、というのはもう少し前から仕込んでおくべきだったろうな、と。
陛下は陛下で面白いキャラクターとして描かれていたとは思いますが、ここまで物語の焦点を合わせるにしては、少し足りない。
その、最後の集約点がズレた事により、闇とか、大人の姿とか、ヒーローになる事とか、
繋がりそうだった要素が空中分解気味になってしまったというか、料理の皿からこぼれてしまった印象。
以前に書いたように、第43話までにおいて、今作の背骨のテーマに関してはある程度やりきったとは思うのですが、惜しい、
惜しいなぁ。最終話でミラクルという可能性もありますが、この流れだと、あまり期待できない(^^;
「昴ヶ浜の仇じゃぁぁぁぁぁ!!」(死んでません)とばかりに、キャッスルターミナルへ単身カチコミをかけたライトは、
暗黒1号に変身。クローズ軍団を消滅させると、モルク、ネロと激突する。ゼットと同質の闇の力を放つ暗黒1号はモルクとネロをすら吹き飛ばすが、
闇の力の重みに動きが鈍り、6号に助けられて一時撤退。
「俺……わかるんだ。自分の中で、闇が広がってくと、気持ちも、体も……どんっどん重くなってさ。なんか、すっごい真っ暗で。
……だから……闇は明るい方に広がってく」
ライトは体力回復の為に烈車の中で一時休憩し、ライトを忘れてしまった昴ヶ浜の描写が挟まった後、
烈車の中で「きらきらひかる〜♪」を明がハーモニカで吹いている、というのは良かった。
「あの闇の中で戦えるのは俺とおまえだけだ」
トカッチとかわした約束の儀式――指切り――をする明とライト、とかこう、部分部分は悪くないんですが。
皇帝ゼットの抱えていた真の闇が溢れつつあるキャッスルターミナルでは、トッキュウ1号とザラムだけはこの手で始末する、
とネロ男爵が出撃。
「ネロ男爵……ま、奴の忠誠だけは認めてやっても良いですな」
最終話手前にしてとうとう、「忠誠心だけ高いぼんくら」扱いを受けてしまうネロ男爵(笑)
男爵、格好いいのに!
というか結論としては男爵は、《クラス》:ソルジャーなので、運用方法が間違っていたのだと思います!
初期の見せ場の後は、光線技で以下略みたいにされがちな中、最後の最後まで殺陣が格好良かった悪の幹部としては、
戦隊史上屈指だと思います、男爵。
その分モルク侯爵がどうしても冴えないのですが、ちょっとひねりたかったり、チェスのクイーンのモチーフだったりしたのでしょうが、
素直にアクション映えするデザインにして、シャドーライン幹部陣は全員武闘派で良かったのに。
休息を完了したライトを、すっかり保護者目線で見つめる明。車掌とワゴンさんも同行を宣言し、
再びキャッスルターミナルへの突入をはかる烈車は、ネロ男爵の操るクライナーと遭遇。明が外へ残って超クライナーロボにビルドダイオーで立ち向かい、
独りキャッスルターミナルに辿り着いたライトの前には、皇帝ゼット自らが降り立つ。
「てめぇ、やっぱりキラキラの欠片も見えねぇな。……闇の中の気分はどうだ?」
「…………悪くないよ。この闇のお陰で、おまえとも戦えるんだし」
シャドータウンの闇の中ではトッキュウジャーもまともに戦えないというのは以前から描かれていますが、
ライトが得た闇の力というのは偶発的な上になし崩しのものなのに、
この最終章だけの必要不可欠なギミックになりすぎているのは非常に引っかかる部分(^^;
現状を前向きに捉える為のライトの考えとしては理解できるのですが、闇の力の伏線自体は序盤から仕込まれていたのに、
描写としては「突然手に入れたスーパーパワー(リスクあり)」になってしまっており、
しかもそのリスクを冒すか冒さないかの選択肢がライトに与えられていないので、
葛藤と選択のドラマ性が必要な所に生じていません。
その為そこに物語が付加されず、闇の力そのものが、非常に軽くなってしまっている。
「キラキラでは勝てないから、仲間を子供に戻して1人でも勝つ為に闇を選ぶ」(皇帝と同じ孤独を選ぶという事でもある)
ならまだわかるのですが、「闇の力の影響で子供に戻れないから闇の力を使ってでも1人で勝つしかない」というのは、
ただひたすらライトを追い詰めているだけの上に、1年間の物語がそこに乗っておらず、
ここまで積み上げてきたものからズレてしまった気がします。
例えるなら、1年かけてお城を建設していて、完成したと思ったら何故か最上階がカレー屋だったみたいな。
カレーはカレーで悪くはないけど、お堀作って城壁作って、二の丸三の丸と組み上げて、天守閣に辿り着いたらカレー屋だったの?! という。
これは勿論、個人の『トッキュウジャー』観によりますが、私としては腑に落ちないというか、何が一番、腑に落ちなかったのかが、
ようやく納得できるレベルで言語化できた感じ。
「ゼット! おまえを倒して、おまえの闇を止める。――トッキュウチェンジ」
「てめえに俺は倒せねぇ。俺には見える」
(……俺には見えない……勝利のイマジネーションが。これが、キラキラが無くなったって事なのか?)
これも前回ラストから、闇の力を得た代わりに勝利のイマジネーション(キラキラ)が見えなくなった、としているのですが、
ライトにそもそも選択の余地がなかったので、何かを得る代わりに何かを失うという関係性がフェアに成立しておらず、
あまり効果的な台詞になっていません。
悲劇的な運命に巻き込まれた悲壮な戦い、という物語の作り方は勿論ありますが、
今作が最終盤でそういった構成になってしまったのはどうしても違和感。そこを抜き出してしまうと、そもそもレインボーラインどうなの?
という話になってしまいますし、ここまで見ない振りをしていたそこにツッコんでしまって良いのだろうかという問題も生じています。
一皮剥くと滅茶苦茶重い話をあくまで前向きかつ陽気に突破していくのが今作の魅力だったのですが、
最後の最後で急に露悪的になってしまったというか。
苦戦する1号を助ける為に、
禁断の究極奥義・烈車轢き
を敢行する車掌とワゴンだが、ゼットはそのその突進を受け止め、逆に烈車をひっくり返すという驚愕のパワーを見せる。
「やっぱり、トカッチくん達じゃないと、サポートは……」
「今更遅いですよ。もう何も覚えてないんですから」
「でも、明くんにお願いしたアレ、みんなが気付いてくれたら、もしかして!」
「ええっ?!」「何の事ですか?」
「全部忘れちゃうなんて、激しく、寂しいから……」
前回、明が秘密基地の所で何かをしていたのは、ワゴンに頼まれて、トッキュウジャー5人で撮った写真を、貼り付けていたのだった。
結局、娑婆に戻った少年兵を再び駆り出そうとするレインボーライン(^^;
あまり後先考えないワゴンさんの気遣いとしてはいいけど、4人は子供に戻って良かった……とか呟いていた車掌がそこを肯定的なのはどうなのか。
やろうと思えばいくらでもやれた筈なので、車掌は故意にキャラクターとしてまとめなかったのでしょうが、
それにしても何もおいしい所のないまま、とっちらかりっ放しでした。戦隊もライダーもギャグは現場処理が多いと聞きますし、
脚本家の愛が無かった、としか思えません(^^;
昴ヶ浜の秘密基地では、誰かを忘れている気がする4人がその写真を発見し、全てを思い出す。
「「「「俺たち、トッキュウジャーだった!!」」」」
レインボーパスを失ってしまった4人だが、そもそもパスが秘密基地の定期券であった事を思い付くと、
思い出の写真の裏を使って(これはとても良かった)、それぞれがライト行の定期券を新たに作る。
そしてライトを助けに行けると4人が信じた時――それは強いイマジネーションとなり、レインボーラインがやってくる!
再び“ごっこ遊び”のイニシエーションを行う事で4人が改めてヒーローになる、
というのは第1話ともしっかり繋がって良いシーンなのですが、だいぶ演出がバタバタ気味だったのが残念。
写真を見てライトの事を思い出す際も、パスを作って烈車がやってくる時も、大人の姿になる時も、総じて間が足りていません。
特に、パスを掲げた時に、烈車が来るかな? 来ないかな? というのはもっとドキドキさせる間が欲しかったです。
うーん、竹本監督は嫌いではないですし、そもそも今回の脚本がバタバタ気味というのもあったと思うのですが、やはり、
パイロット版を含めて今作の主要回を演出してきた、中澤監督でラスト2話は見たかったなぁ。
次作の立ち上げ参加なので仕方ないとはいえ。
後ここで、ライトを助けに行くというのは当然として、
もう一度トッキュウジャーになったら、今度こそ子供に戻れないかもしれない。家族と離ればなれかもしれない。
という葛藤は必要だったと思うのですが、何故か全く無し。今作の重要な所ってそこで、
それを乗り越えてライトを助けに行く所に意味があると思うのですけど。まあこの問題は、本当に大事なことは迷わない、という事で、
迷わずライトを助けに行った上で、次回に触れられるのかもしれませんが。
再びトッキュウジャーとしてレインボーラインに乗り込み、ライトの元へ急ぐ4人だが、暗黒1号はゼットに敗れてしまう。
そして皇帝の闇の力により、キャッスルターミナルが変形。巨大なロボット(モルクは、「獣」と呼称)
と化したターミナルは莫大な闇を放出し、世界は闇に呑み込まれていく……。
この闇に気を取られたネロ男爵は、零距離からビルドダイオーの全ビーム発射を受けて超クライナーロボとまとめて大爆発。
ネロ男爵ーーー?!(悲鳴)
明は闇に包まれた線路の様子を窺い、4人はその闇の中へ全力で烈車を突入させる……。再び闇に閉ざされ、
時間の止まってしまった昴ヶ浜を見つめ、横たわるライトは立ち上がる事は出来るのか?! 勝利のイマジネーションは再びその瞳に灯るのか?!
次回――終着駅。
て、男爵生きてたーーーーー!!(歓喜)
最終回は、ネロ男爵がどのぐらい格好良く(或いは無様に)散ってくれるのか、それが一番楽しみかもしれません(笑)
まあ『特捜ロボジャンパーソン』みたいに、クライマックス45−49話でやらかして、
最終回50話で大大大逆転打を放つというミラクルの例も過去にはあるので、もう一回ツボに来て欲しいなぁ。
……ところで最終回はさすがに、じゃんけんやりませんよね? 映画の宣伝テロップも入れませんよね??
不安(笑)
- ◆終着駅「輝いているもの」◆ (監督:竹本昇 脚本:小林靖子)
来た! ミラクル来た!!
カレー屋の上に更に天守閣が出来た!
途中に挟まっているカレー屋はやっぱり違和感がありますが(笑)
44−46話の展開には書いてきたようにかなり不満がありますし、急に出てきたカレーの為に生まれた引っかかる部分も幾つかありますが、
抑えるべき要素は抑えて、今作のテーマに最後の最後で鮮やかに着地してくれました。
いい最終回でした、良かった。
「闇の力を使っても、駄目だった……。勝利のイマジネーションも……見えない。もう……どうにも……できないのか? もう……」
改めてすっかり、ライトがシャドーラインを倒す為に好んで闇の力を用いたように台詞でもすり替わっていて、
ここはどうもおかしいのですが、どちらかというとプロデューサーのヒロイズムだったのかなぁ……。
ゼットに敗れ、闇の中で倒れるライトだったが、そこへトッキュウレッシャーが辿り着き、トカッチ達4人はライトを烈車の中に回収する。
今度こそ12話で使い損ねた「ピンチの時は秘密の合図」を使うと思ったのですが、結局使わず。
前回か前々回の回想シーンで子供ライトが変な顔をしていましたが、これが物語の中に収まらなかったのはちょっと残念。
4人に驚き、子供に戻る為には全てを忘れるのは仕方ないと言おうとするライトだが、次々と4人の反論を受ける。
「しょうがなくない! ……僕は忘れたくないよ。みんなで旅した事。トッキュウジャーやった事。楽しかった事も辛かった事も全部!
絶対に失くしたくない思いだってある」
「ライトの事もだよ」
「ライトを忘れるなんて、出来るわけないよ」
「全部忘れなきゃ子供に戻れないなら、全部持って、大人のままで居る。俺たちはそう決めたんだ。だから……」
4人は自作の定期券をライトに向ける。
「「「「絶対5人で助け合う事!」」」」
前回入れられなかった、子供として家族と一緒に暮らす事を諦めてでも友達の為に戦う、という部分を拾った上で、
「大人で居る」事を選びながらも「子供の約束」で繋がっているという、トッキュウジャーの良い所と歪んだ所が一緒に入った良いシーン。
44−46話ですっ飛ばされ気味だった「葛藤」と「選択」が物語の中に入り、
「4人だけでも秘密基地に戻ってほしい」というライトの選択が間違いだった――それはもう、
かつてと同じ“あの頃”ではない――というのを4人がしっかり突き付け、現在を肯定する。
ヒーローとして、捨てられないものを選び直す。
1年間描いてきた幼馴染み5人の物語に、ここでようやくレールが繋げ直されました。
外部では、まだ力を残しているレールを明が見つけるが、そこへネロ男爵が現れる。
「そこだけまだ微かにレインボーラインと繋がっているな。そのレールごと貴様を潰す。今度こそな」
「させるか。このレールは……」
「また貴様の死に場所か?」
「……いや。…………レインボーライン、俺の――生きる場所だ。――トッキュウチェンジ」
そして明もまた、現在を肯定する。
明は当初、元シャドーという特殊な位置づけにより精神年齢があやふやで、5人に面倒を見られるような描写もあったのですが、道中、
5人が実は子供だと知り、その5人から人の情を学び、急速に保護者目線になる事で、“大人”と“子供”の関係が、5人と逆転。
これにより、青春のはしかを卒業して、立派な大人になりました(笑)
意図通りの仕掛けでしょうが、実は子供だった5人に対し、まともな大人になる明、というのは今作の特色を活かした面白い追加戦士の在り方でした。
ロールプレイ防御全開の明も好きでしたが、終盤の明も良かった。
止まってしまったトッキュウレッシャーの車内で、どうやってこの闇から脱出するのかを考えていた5人だが、その時、
ライトが全てを包む漆黒の中に、一点の白い輝きを見つける。
それは――――ライトの母が手にした星祭の灯籠だった。
「母さん……」
キャッスルターミナルより溢れ出した闇が世界を包む少し前……家族と星祭に向かっていたライトの母は、ふと思い立って、
黄色い星を描いた灯籠を、新しく作っていた。
「なにそれ?」
「うん……どうしてか、あともう一人居るような気がして。そのもう一人の為に」
それは――ライトの為に描かれた星。
「もう一人って、星なの?」
「ううん。ただ、舞達が「きらきら星」歌うのを聞いて、思い出したから」
「会える?」
「どうかなぁ」
「ボク会いたい!」
「じゃ、灯籠にお願いするんだな。星祭は、そういう夢や希望を、星に願うお祭りなんだ」
きらきら星を歌いながら、一家は新たに作ったその灯籠を石段に並べ、そこで世界は闇に包まれる……
きーらきらひーかる おそらのほーしよ……
そして――ライトがそのキラキラを見つけた時、石段に並べられた星祭の灯籠が次々と光輝いていき、
闇の中に伸びる、光輝く線路になる!
あぁ! そう来るかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
ここで、ライトの灯籠「宇宙へ行きたい」(「宇宙飛行士になりたい」だったか?)も光の列の一部になっている映像が入るのですが、
そう、23話で星祭の記憶が戻った時点で、「灯籠に願いを書く」というのは示されていたのでした。
つまりそれは、人々のイマジネーションの連なりである。
わかってみればこれだけ露骨に提示されていたのですが、いやまさか、石段に並べられた灯籠が“線路”になるというのは、
全くもって予想外だったので脱帽です。
この最終局面で、世界観のキーワードとビジュアルが完全に融合を果たすという、ミラクル。
そしてまた、これまで、5人の家族は5人を支える背景にはなっていたけど、どうしてもどこか遠い存在で、それがここで、
子供達を導くキラキラになる――という、ライト母が灯籠を作っているシーンから一連の流れは、
物凄く素晴らしかったです。描いてあるのが、ただ、シンプルな星というのがまた、いい。
1年間見てきて良かった。
このシーンで凄く、満ち足りました。
特に何がいいって、単に伏線が綺麗に繋がったというだけではなく、
「みんなの夢と希望」と「光の線路」というビジュアルが融合したのが素晴らしい。
これぞ、映像作品です。
とても良いものを、見せていただきました。
果てしない暗黒を切り裂くように、夜空へ向けて伸びていく光の列。
「む? あれはいったい?」
モルクの言葉に顔を上げ、椅子から立ち上がった陛下の瞳に映り込むのは、まばゆい光の線路。
――闇の中で見たんだ。おまえの目ん玉にあるキラキラに、よーく似たやつだ――
「あれだ……俺が見たキラキラは」
あの時、昴ヶ浜を覆っていった闇。
5人の子供達の歌声。
「「「「「きーらきらひーかる……」」」」」
「おーそらのほーしよ……」
その歌を口ずさみながら、上昇していく光に手を伸ばす陛下、切ない、切ないなぁ。
陛下が見たキラキラの正体、陛下の闇が昴ヶ浜に惹かれた本当の理由、それは、そこに連なっていた沢山の人々の想いの為だった……
と真相の真相が明かされ、やっと納得できる所にまとまってくれました。
44−46話の展開で個人的に凄く引っかかっていたのは何より、ここまで特に踏み込んでこなかった
“光(レインボーライン)と闇(シャドーライン)”の関係を、急にライトとゼットという個人に集約してしまい、
合わせて今作の物語そのものを「二人の因縁の物語」として展開する事により、物凄く世界が狭い所に閉じてしまった事だったのですが
(これはクライマックスバトルの盛り上がり不足にも繋がった)、ここで世界が広がった!
いたずらに広がって話が大きくなれば良いというわけではありませんが、ゼットの見たキラキラがライトであった、
という個人レベルの物語になってしまうのはどうしても納得しがたい物があったので、それが沢山の人々の想いであった、
というのは凄く納得。
闇そのものであるゼットと、ライトという個人では天秤のバランスが悪いけど
(ゆえに44−46話の展開で物語を進めるならゼットを個人レベルにする為の描写が必要だったが、
それが不足していた為に流れがちぐはぐになっていた)、天秤の片方が不特定多数の人々のキラキラになった事で、
この釣り合いが取れました。そしてその中にはライトのキラキラも入っているので、矛盾も無い。
そしてこう広げれば、これまであまり踏み込まずに描いてきた流れで、レインボーラインとシャドーラインは、
“観念的な光と闇の具現化”というような解釈でも、問題無く物語が収まります。
この最終回に持ってくる為に、主人公すら踏み台にしたとも言えるのですが、ただうーん、
過程の所の急な流れの変更はやはり引っかかる所で、そこはもう一工夫して、見た目綺麗な踏み台にして欲しかった所です。
どうしても、違和感のあるカレーの匂いが染みついてしまったのは否めず、惜しい(^^; 後これ別に、
最後のどんでん返しというわけでもないので、踏み台使って最終回に明かさなくても物語は展開できたのではと思いますし。
漆黒の夜空に伸びた光の線路に乗り、力を取り戻すトッキュウレッシャー。外では明がネロに追い詰められていたが、
闇の中からトッキュウレッシャーが飛び出し、明とネロは慌てて回避して水入り。
ネロ男爵は、ここで烈車に轢き殺されていたら、歴史的なネタでおいしかったのに(笑)
キャッスル獣の吐き出した闇が晴れていき、空にかかる虹。大集合する、レインボーライン。
「陛下、奴等め闇を」
「ああ、わかってる」
迫り来る大烈車軍団のキラキラを見つめる陛下が超嬉しそうで、切ない。
「闇とは、常に巨大だ。あっという間に光を呑み込んでしまう。それに対抗できる力は一つしかない。――いや、一つでいい!
夢、希望、想像、祈り、その全てに通じる……」
「「イマジネーショーーーーーーン!!」」
おいしい所を持って行く総菜、そして車掌とワゴンさんにも見せ場が!
……私、前回見終えてから割と本気で暗くなっていたのですが、ここに来て全てのピースがきっちりとはまっていき、
前回見終えた後の私の暗い気持ちを、のしをつけてスタッフ(やっぱり脚本家宛か?)に送りつけたい(笑)
一番得体の知れなかったレインボーラインですが、最後にしっかりとその存在をメッセージ性を持って描けました。
総菜は人格には色々と疑問を感じますが、「それに対抗できる力は一つしかない。――いや、一つでいい!」は超格好良かった。
あと、「夢、希望、想像、祈り」と言うのに合わせる形で烈車が連結していく、というのも格好良かったです。
烈車の連結描写はクリスマス決戦編でかなり尺使ったのでもう目立たないかと思いましたが、
最後まで烈車という要素を使ってくれたのも良かった。
この辺りは佛田さんの担当かもしれませんが、前回「やっぱり中澤監督で見たかったなぁ……」とか書いてすみませんでした竹本監督!
……いや、前回はあまりよろしくなかったと思いますけど。良くも悪くも目立つ立場にある脚本家とか監督だけではなく、
色々なスタッフの力が結集して作品が生まれているわけですが、前回のバタバタ感に対し、
ピースがはまっていく今回は全てが良く回っていくから、実に不思議。
烈車大軍団の突撃により、キャッスル獣は特に何もしないまま、爆発四散。折角、ごてごてして割と格好いい着ぐるみだったのに(笑)
微妙に、Vシネマで再利用とかされそうな予感。
そして、敵の最終巨大兵器を、総菜・車掌・ワゴンさんが倒してしまうという、まさかの展開(笑)
レインボーラインに自ら轢かれたがっているようにも見えた陛下はモルクに引っ張られて崩壊する城を脱出し、
ネロ男爵が合流した所に、トッキュウジャー6人が降り立つ。
「ライト……てめぇ」
笑みを交わし合う、ライトとゼット。この二人の個人の物語に集約してしまう違和感について書いてきましたが、
ここのちょっとした繋がりは良かったです。
「ゼット! 闇の力でおまえを倒そうとしたけど……間違ってた。どんなに闇の力が大きくても、俺たちは俺たちの力、
イマジネーションで戦わなきゃいけなかったんだ! 最後まで!」
ここはやはり、そもそもライトに選択肢が無かったので、ちょっとズレている(^^;
「はははははははははははは、ははははは!! すげぇキラキラだぁ! てめえら見ろよ。やっぱりこうでなくちゃ……潰しがいがねえ」
ゼットは変身し、6人も変身する。
「「「「「「トッキュウチェンジ!」」」」」」
「トッキュウ1号!」
「トッキュウ2号!」
「トッキュウ3号!」
「トッキュウ4号!」
「トッキュウ5号!」
「トッキュウ6号!」
「「「「「「見えた!
勝利のイマジネーション!
烈車戦隊トッキュウジャー!!」」」」」」
「しゅっぱーつ進行!」
顔出し+スーツで名乗り中に、CGでマスク装着、というのは独特の名乗りモーションにはまってスピード感のある格好いい演出になりました。
そしていつもの揃い踏みから更に、新揃い踏みポーズを追加するイマジネーション! 今作あまり、
名乗りとか揃い踏みで盛り上げてこない作りだったのですが、最後という事で派手に火薬も使って、格好良く決めました。
体を張る6号がおいしい(笑) 大人になって辿り着いた場所は、宴会部長なのか、明よ。
OPがかかって戦闘スタート。イマジネーションゲージが最高に溜まっているトッキュウジャーはクローズ軍団を瞬殺し、
ゼットの一部だったキャッスル獣が吹っ飛んだ事で闇の力が減退している……と丁寧に弱体化の理由を説明してくれるモルク侯爵(笑)
久々にカグラの最強ガールも用い、トカッチ捨て身のコンビネーションアタックがモルクを貫く!
気が付くとマッチアップ相手になっていた6号とネロの激戦も、宴会パワーで6号が男爵を撃破。
吹っ飛ばされて地面に突き刺さった杖のカットが二回も印象深く入り、なんだかんだで最後まで愛され系でした、男爵(笑)
とにかく殺陣が格好良かった男爵ですが、アクション監督がお気に入りだったりしたのかしら。
烈車に轢き殺された方がおいしかったとは思うけど、男爵に関しては大満足。
ゼットと激突した1号は二刀流でゼットの猛攻を上回り、
レインボーラッシュにユウドウブレイカーをセットしたユウドウレインボーラッシュが遂にゼットを直撃。変身の解けるゼットだが、
そこに満身創痍のネロとモルクが駆け寄ると、自らの闇を差し出す。
「陛下、失った闇は、どうか妾の闇で」
「このネロ、陛下の闇になれるならば、喜んで」
「よせ……てめえら……この期に及んでキラキラすんじゃねえ」
「これは心外」
「では陛下、偉大なる闇で、再び!」
「ああ…………じゃあな」
最初からずっと言ってはいましたが、シャドーラインはとにかく、闇でしか居られない存在、というのが貫かれました。と考えると、
クライナー大軍団で地上を制覇したいという“夢”を持っていたシュバルツは、実は最初から異端ではあったのか。
そしてモルクとネロがゼットに吸収されて消滅した事により、敵の全幹部が敵のボスに倒されるという、
恐らく戦隊史上初の金字塔が達成されました(笑) 5人の正体が子供だと考えると、
人格の強い(交流もあった)幹部クラスを意図的に殺させなかったのかな、とは思う所(まあ怪人は倒しているわけですが)。
「ライト、てめえだけは潰す」
モルクとネロの闇を吸収して再び変身したV2バスター陛下はトッキュウジャーを闇の力で吹き飛ばし、唯一耐えた1号と切り結ぶ。
追い詰められる1号だが、その時、5人が変身烈車を1号に託し、1号は連続乗り換え。そして――
「トッキュウ1号ーレッド、乗り継いでー、レインボーー」
七色の光がその身に宿る!
7色目はハイパーレッシャーで代用しましたが、これやはり、初期にはメンバーが七人になる構想もあったのかなぁ……。
乗り換えに関しては結局、劇中でギミック以上の意味を持つには至りませんでしたが、一応、最後の大技に繋げる形で活用。
イマジネーションパワー・フルチャージ! 虹を纏いながら誰も止められない速さで動くレインボー1号は、
ゼットを凌駕する怒濤の連続攻撃を浴びせ、最後は皆で抑えながらの零距離大回転砲が炸裂。
変身が解け、遂に髪のセットが崩れた陛下は、青い空にかかった虹に向けて手を伸ばしながら……倒れる。
「すげぇ……俺は……あれを……」
ゼットの体は吹き飛ぶが、その内部から闇が放出され、吹き荒れる。力を使い尽くして倒れたライトをかばう5人だが、
その時やってきたクライナーが、闇を回収して走り去って行く。
「陛下……闇は、闇へ還りましょう。陛下の欲しかったキラキラは……闇あってこそ」
生きていたグリッタはクライナーの中でおぼろに形を取ったゼットの手を取ると、闇の奥底へとクライナーを走らせるのであった……。
見えない所で悲鳴だけあがる、という定番演出だったので、シャドー側の始末をつける役回りだろうと思われたグリッタですが、
本当に一言だけでまとめる事に。お約束はお約束として、あの時何があったのか、はワンカット入れなくてはいけなかったとは思うのですが、
純粋に尺が足りなかったのか(^^;
終盤までぶっちぎりのヒロイン力を発揮していたキャラだっただけに、そこはもうちょっと欲しかったかなー……惜しい。
陛下はキラキラを求めても決して手に入れられないが、陛下が居るからこそキラキラが存在する……観念的な闇そのもの、
という所に落ち着いた陛下ですが、戦隊史上屈指の切ないラスボスでありました。
語りきらないのを前提、というような非常に難しいキャラクターだったと思いますが、
陛下はとにかくキャスティングが大当たりでした。前回ぐらいはちょっと自暴自棄になっている感じで魅力半減だったのですが、
今回の、手に入らないにも関わらず、キラキラが輝けば輝くほど喜んでしまう、という陛下の姿を見事に演じきり、
最後まで素晴らしい演技でした。
こういう褒め方はあれかもしれませんが、かつての広瀬匠さんのように、定期的に悪役で出てきてほしい役者さんです。
シャドーラインは再び闇の底へと去り、大人の姿で、昴ヶ浜の海を見つめる5人。全てを持って大人のままで居る事を選んだ5人は、
保線作業員を続ける明と旅を続けようと考えるが、駅へ行くと何故か総菜が現れて別れを告げる。
「じゃ、最後に、その頭取ってよ」
「取れない。それに、なんでもすぐに答を求めてはいけない。想像しなさい。そのイマジネーションで我々は存在し、走っている」
「そうですよ。いつでも皆さんのすぐ近くをね」
「だから、激しく、忘れないでね」
皆のイマジネーションがあるからレインボーラインは存在し、だからいつでも近くに居る……というのは、
夢の存在としてのレインボーラインが、綺麗に着地しました。作品としては中盤以降、
「イマジネーション」の活躍の場があまり無かったのですが(もっとギミック全てにこじつけるぐらいでも良かったと思う)、
誰だってヒーローになれる戦隊として、ある程度収まったかな、と。
「どういう事?」
ヒカリが首をひねった時、駅に届く、4人を呼ぶ声。そこへ走ってきたのは、4人の家族。
「おまえ達の家族のイマジネーションも、かなりのものだったんですよー」
「みんなが書いていた手紙、きっと、激しく届いてたのよ!」
皆の家族はそれぞれ、大人になったトッキュウジャーを家族として受け入れる。
これまでずっと、(常識として)大人の姿では家族に受け入れられない、という物語上の覆せない前提条件があったのですが、
最後の最後で、見事なうっちゃり。
彼等の大好きな大人達が、彼等を受け入れない筈が無い。
そう、『トッキュウジャー』は、そういう戦隊だった!
前回見終えた時点では正直なところ、総菜が適当やってなし崩しで大団円という白けるエンドもありえるかなーと思っていたのですが、
そんな悪手は回避し、彼等が大好きな大人達が掟破りを行うという、見事な大逆転。
今作はヒーローの鏡として、“身近な良き大人達”を肯定する物語なので、この掟破りは許されます。
この瞬間、今作で描いてきた「ヒーローとは何か?」という話が全て繋がり、美しく着地しました。
どこまで狙ったキャスティングだったのかはわかりませんが、自分より大きくなってしまった弟を受け入れるトカッチ兄とか、沁みます。
大きさといえば余談ですが、子供カグラが縦に伸びてしまったというか、5人の中で一番背が高くなっている気がするのですが、
最初からこうでしたっけ?(^^; 5人の中で一番子供っぽいキャラの筈なのに、子供が一番大人っぽく(笑)
4人が家族と再会する姿を見つめながら、自分の事は諦めて明と共にレインボーラインで去ろうとするライトだが、
その胸に弟と妹が飛び込んでくる。最も闇の影響を受けていたライトの家族もまた、闇の中で、ライトの事を見つけ出したのだ。
「おかえり、ライト」
「ただいま」
母に抱きしめられ、子供に戻るライト……そして残りの4人の姿も次々と子供に戻る。
それを見届けたトッキュウレッシャーは明を乗せて果てしない線路を走り出し、5人は去りゆくその姿に手を振り続けるのであった――。
最後は日常に戻った子供達を描き、秘密基地で大人と子供の5人が出会って(これはサービスシーンでしょう)、走り出す5人でエンド。
最初見た時は、ここまで来たら大人の姿のままというのも一つの美しさかな、と思ったのですが、冷静に考えると酷すぎるし、
2回目見たら、「ただいま」で子供に戻る事こそ、今作らしいラストかな、と思い直しました。
手紙はどこかで使うだろうとは思っていましたが、こう使うなら前回、それとなく手紙が届いている描写があっても良かったかなー(
読んでないけど知らない間に部屋の中に、みたいな感じで)。ライトの家の表札がポストに貼り付けてあって、
それを映すカットが前回あったので、演出意図としては、はっきり描かないけど「手紙」というキーワードを匂わせた、
という事だったのでしょうが。
作品として惜しむらくは、4人が一度子供に戻るという都合もあり、最終盤にこれまで蓄積してきた横の人間関係が集約される事がなく、
合わせて明との絡みも不足してしまった所。ただ、最後に子供に戻るというオチを考えると、「これ以上、
大人の姿の時に人間関係を進展させない」というのは、「正しい」判断だったのかもしれません。面白い面白くないでいえば、
これまでの蓄積のある大人4人を動かした方が面白いに決まっているのですが、それよりも正しさを選んだというのは、
キャラクターに対して誠実だったのかな、と。
ここ数話、あれあれ? という方向に走っていましたが、最終的に繋がるべきレールが繋がって、満足の終着駅でした。
もう少し重めのラストも想定はしていたのですけど(5人は大人の姿で旅立つけど、手紙が家族の元に届いて……みたいな)、
最後に良き大人達がそういう運命を大逆転させる、というのは、素晴らしかったです。
総評としては、大傑作になり損ねた傑作という感じ。
特にシャドーライン関連において、終盤に配置した布石が回収されないままに見えたり、惜しい部分もありましたが、
序盤から非常に個人的なツボにはまり、久々のリアルタイム視聴で完走、存分に楽しませていただきました。
イマジネーション!
(2016年1月2日)
(2019年10月20日 改訂)
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